頭でっかちな限り、あなたは幸せにはなれない

頭でっかちの人は、ずっとお喋りをしています。目の前に話し相手がいてもいなくても、関係ありません。どちらにせよ、ずっと頭の中でお喋りを続けます。頭の中は起きている間、ほぼずっと沈黙することがありません。いつもモヤモヤ、フワフワと考えごとをしています。

頭でっかちの人が、だれか友達と会っていたとします。
その友達とのお喋りの時間も、きちんとした対話になっていることは稀です。目の前のその人を丁寧に感じて、感情の交換のような何か発展的な温もりがそこから産まれることはありません。目の前の友達とお話しをしながら、同時に頭の中で(もう1人の自分と)お喋りをしてしまっています。"ながら会話"のようになってしまっているのです。

私たちはどうでしょうか。目の前の人と話しているようで、話したいことを話したいだけ、一方的に話しているだけになってはいないでしょうか。子供と話すときであれば、子供の気持ちを感じとりながら、丁寧に会話は進められているでしょうか。部下や後輩からの相談であれば、相手が受け取れる以上のことを無配慮に言いっ放すようなことになっていないでしょうか。

頭でっかちな状態の時、私たちの話し相手は犬や猫の方がよかったかもしれません。相手の感情に興味を失っていて、自分の思い通り相手をコントロールしたいだけで、身勝手になってしまっているからです。

犬や猫、赤ちゃんがヒーリングになることがあるのは、壁に向かって話す虚しさがなく、否定されることもないからです。少しだけ時間をゆっくり流れるようなそんな感覚で、彼らは私たちの相手をしてくれます。気まぐれにうんちをしたりオシッコをして、頭の中のお喋りを強制終了するように止めてくれることもあります。

「犬や猫はコントロールできない。だからこそ癒される」というのが逆説的で興味深いですね。

もちろん、犬や猫、あるいは赤ちゃんのそれは一時的な癒しです。赤ん坊は大きくなり、反抗期がいつか訪れ、私たちのように憎たらしくなってしまいます。犬や猫も、会社や学校に連れて行くわけにもいきません。

本当は、自分自身で自分を癒すことができなければなりません。
頭でっかちな状態から、静けさを取り戻さなければならないのです。目の前にある美味しいコース料理も、喋り続けている限り、その味を感じることはできません。考えることと感じることを、人は同時にできないからです。そのまま頭の中で話し続けていれば、上質なお料理も、居酒屋の唐揚げと大差なくなってしまいます。

「黙ってみないか
ちょっとでいいから黙ってみないか
新聞もラジオも君も(そして詩人も)
君にはしじまが聞こえるか」
(谷川俊太郎)

静かになる、頭の中のお喋りを止めるには瞑想がよさそうだと思うかもしれません。ですが、頭でっかちな人には瞑想はかなりハードルの高いチャレンジになります。長時間の瞑想をおこなったとしても、頭の中でお喋りをし続けるか、居眠りをするか、疲れ果てて少しぼんやりするぐらいです。

瞑想に取り組む前に、セラピーやボディワークを先に経験し、瞑想しやすい状態を先に作っておくことがお薦めです。

セラピーやボディワークは、クライアントとセラピストとの共同作業になります。クライアントが頭でっかちのまま、お喋りを止めなければ、その効果は半減されてしまいます。煙草を吸い、他人の悪口などを趣味の悪い会話を愉しみながらコース料理を食べるのと同じです。クライアントとセラピスト(お客と料理人)の二人三脚で、至極の経験は成り立っているのです。

上質なセッションを通して、全身に静寂が満ち、癒されていきます。過去への後悔も未来への不安も考えることはできなくなります。セラピストの手助けを借りながら、また委任しながら、自分で自分を癒せる能力を高めること。また、静かな時間を自分の中で増やしていくことができるようになることが大切です。

コロナウィルスで過剰反応してしまっている人は、3.11の後の放射能問題でも同様だったのではないでしょうか。静けさを取り戻し、グラウンディングできるようになると、こういう事態にも落ち着いて対処することができるようになります。難しいことに感じるかもしれませんが、それは誰にでも後天的な努力によってできるようになることなのです。

静けさが少しでも取り戻せたら、本当に日々は過ごしやすいものになっていきます。


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