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コンビニ店員のリストカット痕

梅田にある、わたしのスタジオ(Pilates Studio DAGOBAH)の近くには、コンビニエンスストアがあります。その近くのコンビニには、オープンした日から勤めている女性がいます。

彼女のことを最初に覚えたのは、そのコンビニがオープンして最初の夏のことでした。彼女の腕にある、たくさんの躊躇い傷(リストカット痕)が眼に留まったのです。

薄っすらとではなく、かなりハッキリとした痕でした。過去、一時的なものではなく、長い期間、彼女はリストカットを続けていたはずです。


レジでのやり取りや、彼女の表情や動きから、まだ完全に彼女は立ち直っていないように見えました。淋しさや怯え、生きづらさが、彼女の振る舞いに潜んでいました。

彼女の名札には、早い段階で、「店長」という役職がつきました。海外から出稼ぎに来ているようなスタッフとのやり取りで、笑みを浮かべているのを見てホッとしたり、酔っ払いに絡まれているのを見て、警察にすぐに電話をかけたり。ただのご近所で、余計なお節介かもしれません。勝手に、彼女のことを気にかけていました。

しばらくすると、彼女の名札から店長という役職は消えていました。能力も高そうだし、何よりほぼ毎日いる日本人は彼女しかいない。それなのに消えているということは、彼女から辞退したのかもしれない。荷が重かったのだろうか。買い物を済ませた後のスタジオに戻るまでの、ほんの数分、彼女のことを考えていました。

それからまた月日が経ち、おそらく7,8年前に、わたしのスタジオでトレーナーやインストラクター向けに、丸1日、ワークショップをおこないました。昼休憩で、ある参加者が、お金を投げるようにその店員に渡しました。その参加者には悪意もなく、普段の動作に過ぎません。投げつけている訳でもないし、投げているという感覚もなかったはずです。

その参加者はわたしに対しては人一倍、礼儀正しい女性でした。「そこまでペコペコしなくていいのに」と、わたしはよく思っていました。

その彼女がお金を渡しているつもりで、放り投げている事実に、当時は驚きました。「人を見上げる人は、同じだけ、人を見下すのだ」という、悲しい法則をその時に、体験しました。

昼休憩後、「彼女の躊躇い傷に気付いた人はいましたか?」と参加者全員に聞くと、誰も気付いていませんでした。「そういうところに気づくことが、セラピストにとって最も重要な能力なんだよ」とか、そんな積極臭い話をしたのを覚えています。

そして、今日。
1ヶ月ぶりぐらいにこのコンビニに行くと、彼女がわたしのレジをしてくれました。彼女の名札に目をやりました。名前の上に、五つ星がついていて、トレーナーと書かれています。昇進したのか、ただの色彩検定三級程度の誰でも働いていれば、その肩書きは加わるものなのか。そもそも、それが彼女にとって喜ばしいことなのか、どうでもいいのか。

何一つわからないけれど、彼女は10年近く、ここで働いているのだということがなんとなく嬉しくなりました。

本当は「辞めたい、辞めたい」と思って、嫌々、10年働いているのかもしれない。だから、ぼくが嬉しくなる気持ちは、バイアスのかかった身勝手なものなのかもしれない。でも、働いていれば、ご飯は食べていける。そして、何かを続けている。きっとぼくの知らないところでも、クレーマーがいたり、傷ついたり色々あるはずで。でも、彼女は生きていて、コンビニで働いている。

その事実は、身勝手な距離感の、名前も知られていないセラピストなのだから、勝手に喜ばせてもらってもいいじゃないか。そんなことを思って、またスタジオに戻って、この文章を書いています。

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