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ピアノが弾きたくてたまらない話


最近、ピアノが弾きたくてしかたがない。

困ったことに、我が家には愛すべきピアノ様の居場所はつくれそうにもなく、どこか手軽に弾けるところがないか、近場のスタジオをググる日々が続いている。


5歳のころからピアノを習い始めた。習い事としてピアノを弾いていた頃は週1回のレッスンがある以上、「弾きたいな」という心にしたがって弾いていたというよりは、「練習しないとな」と思ってピアノに向かっていた、という方がしっくりくる。

最初は譜面とにらめっこしながらたどたどしくしか弾けないのに、練習を続けていく内にすらすら弾けるようになる。どうやったら出したい音が出せるのか試しながら、同じフレーズを何十回も弾く。
思うようにいかず苦しいときは何回もあったけれど、このときつくられた土台を失うことは、たぶんないと思う。

受験勉強を理由に高3の9月でピアノ教室とはお別れしたのだけれど、毎日の「練習時間」がなくなった途端、ふとピアノを弾きたくなる瞬間が出てき始めた。もちろん受験勉強から逃げたい気持ちがそうさせていたのかもしれないけれど、クラシックから合唱の伴奏曲まで、レパートリーを思いつくままにさらさらと弾く時間は純粋に楽しかった。

ああ私、ピアノが好きなんだな。

そんな当たり前のことをはっきりと自覚したのはこの頃だったように思う。


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大学に入ってから、文章を書いたりひとと議論したりする機会がめっきり減った。もっぱらインプット。授業中のグループワークでも気まずい沈黙が流れる。それが教育としていいか悪いかはさておき、そんな環境に自分でも気づかないうちに息苦しさを覚えるようになっていた。

どんなにテンポをゆらしたくても、決められた一定のリズムからズレてはいけない。メトロノームが生み出す無言の圧力。


私にとって、ピアノは誰にも邪魔されない自己表現の場なのだ。感情のおもむくままに音を奏でテンポをゆらし体を動かし、自分の音を味わう。

そこにはかぎりない自由と、誰からも攻撃されない安心がある。

いま、私がピアノを猛烈に弾きたいのは、きっと外に出せないあれやこれやを一掃してしまいたいから、なんだろう。
そして、あらゆるゴタゴタから解放されて、自分が主役だと感じられる時間や場が欲しいんだろうな。


noteが、私にとってそんな場になる予感がしている。

あー、ピアノ欲しいな。とつぶやいても部屋が広がるはずもなく、鍵盤の代わりにキーボードに指をすべらせて、今日も1日が終わろうとしています。

ピアノの代わり、といってはなんだけれど。
これから、よろしくお願いします。

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