本家の後継 14 嘘からの成長
人間は複雑だ
人間は単純だ
どちらも、本当だと思う
ほんの些細な出来事が、その後の人生に影響を与えることがある
たとえ、運命のいたずらのようなことでも
この話は、隆子(私)が自分自身の人生を振り返って、その苦悩の中を生き抜いてきた話や人生について考えるきっかけになった思い出です。実在する人物が登場するため各所に仮名を使わせていただいています。
隆子が小学校の4年生の時、担任の女の先生の代わりに、臨時の先生が来た。
男の先生だった。
いかつい感じの怖そうな先生だった。
見た目通りに、男子にはガンガン叱っていた。
隆子もいつも、忘れ物と宿題をやらないで学校にいくので、同じように立たされ叱られていた。
でも、今までの女の先生より、今度来た男の先生の方が男子には少しキツかったが、女子、つまり隆子にはやや優しかった。
説明を少しさせていただくと「隆子には」と言いましたが、私の他に注意されるような女子がいなかっただけのことです。(汗)
そんな怖い一面はあるものの、その先生はとてもユーモアのある先生で、小学四年生相手に、よく笑わせたりしながら授業をしてくれる先生でした。
ある日、学校から帰ってドリルの宿題をしなくてはならないのに、道草をたっぷりして帰った隆子は、疲れて寝てしまった。
次の日、宿題を出すように言われ、家にドリルを忘れて来ていたのを先生に言うと
「隆子、本当にやってあるんだろうな?!」
「やってないから、わざと忘れて来たんじゃないか?」
「家まで取りに行ってきなさい」
「取ってきて戻るまで、先生、学校でまってるからな」
ドスを利かせた声だった。
そう言われて、隆子は仕方なくドリルを取りに家まで戻った。
前の日のことを思い出していた。
自分では宿題をやっていない。
次女のみつが三女の富子に、隆子の宿題を見てやるようにと、強く言ったので仕方なく富子が隆子の相手をした。
しかし、隆子はダラダラしてなかなか宿題をやろうとしない。
このままでは自分がみつに叱られる。
自慢では無いが、みつが怒ると一番怖い。
そこで、早く終わらせようと答えを薄く回答欄に書いた。
(宿題を見てくれること自体、珍しいことなんですけど何故かこの時だけはこんなところまでやってくれました)
「隆子、書き直せよ!」
たしか・・・そんなこと言ってたような・・・
それを、書き直せばいいだけなのに、それすらしなかった。
自信がなかった。
それに、もし自分の字ではないとバレたらどうしよう・・
今まで散々、宿題をやらないできたのに、なぜか今回だけは信用を失いたく無いような気がした。
取り敢えずドリルをカバンに詰め込み、もう一度学校へと戻ると先生の元へと向かった。
先生はちゃんと待っていた。
隆子がオズオズと宿題を出すと、先生はどう見ても「隆子が宿題をやっているはずがない」という目で見ながら、宿題を開いた。
「本当にやってある!」
(良かった!)
「隆子は、いつも忘れてくるから」
「よく取りに行ってきたな」
隆子は、ホッとしたと同時に、先生を騙してしまったことに少しだけ心が痛んだ。
いつもはチョット意地悪な富子にも、ありがたいと思った。
結果的に、先生を騙してしまったわけでしたが、この日から先生の隆子を見る目が少し変わり、ちょっとした事を褒めてくれるようにもなりました。
隆子はそれまで、先生に褒められたことがなかったので、学校にいく嫌さが少しだけ薄くなった。
人は認められると、気持ちが明るくなるものなんですね。
間違った名誉の挽回法でしたが、隆子にとってはこれが成長の足掛かりとなって行きました。
この一件の、後ろめたさから宿題をするようになった隆子は、少しずつ学力もついてきました。
というか、立たされる回数が減って、授業に集中できるようになったからなのかも知れませんけど。
まぁ、もとが散々ですから、並に近づいただけですが。
隆子は、相変わらず同級生にはいじめられていました。
テストが返される時、点数から順番に返してくれるという残酷な晒し首のような時代でした。
隆子は、それまであまり早く名前を呼ばれることはありませんでしたが、たまに得意な教科だけ、早く呼ばれることがありました。
ある時
宿題の答え合わせで「出来た人?」と先生。
手を上げたのは男子1人と隆子だけ。
算数でしたから、式も合っていないといけなかったのですが、隆子は少しだけ模範より回りくどい計算をしていたのです。
すると
「カンニングだ!」
「先生の教科書見たんだろ!」
「隆子が出来るわけないだろ!」
と言われ、休み時間になると意地悪をされることもありました。
五年生の時のマラソン大会でのこと
それまで数年間、ずっと授業中に立たされて、道草で遠回りして、その甲斐あって足腰が鍛えられたのか、六年生を抜いて1位になったことがありました。(過疎で人数が少ないので二学年一緒に走るのです)
流石に、筆記のカンニングを疑うことが出来たとしてもても、マラソンは見たまんま実力が結果を生み出します。
今思えば、きっと先生は事情を察して、苦笑いだったに違いありませんが、少しだけ隆子を見直してくれたことだと信じます。
家が貧乏だったり、忘れ物ばかりしているのと、体力がないことや勉強が出来ないのは、ひとつながりではない。
それなのに、自分より劣っていると思う奴に対して、全てにおいて自分より下にしておきたいのが、子供とはいえ、人の性というものなのだろうか?
仲良く遊んでいたかに見えても、意地悪されることはしょっちゅうでした。
低学年の頃は、自分より弱いからといじめられ、高学年からは、軽い嫉妬心からいじめられる様にと変わっていきました。
隆子が、抵抗出来なかったのは、抵抗してもやり返されてしまうのが怖かったからに他なりません。
隆子にとって恐怖心というのは、全ての抵抗を押さえつけるだけの影響をもっていました。
小学5・6学年の時にも男の先生で、あまりガッツリとは怒らない先生だったのは隆子にとって幸運だった。
隆子も、少しは成長して、みんなに追いついてきたからかも知れない。
先生としては、家庭のことなども少しは考えて、児童を伸ばしてくれようと「ほめる」ことをしてくれていたに違いない。隆子に対して特別というよりは、常にそう言った姿勢で教育に当たっていたのではないかと思う。
大した才能でなくても、希望に水を撒いて育ててくれたにちがいないと思うと、遠い昔となりつつあることながら、感謝を覚えずにはいられない。
家庭環境では、ほめられた思い出はない。
おそらくこう言った経験から、隆子は他人に認められるという「味」をしめていったのだろう。
家族に対して自分を認めてもらうなどという意識は諦め、反面、外部に対しての「承認欲求」の芽を育てはじめていた。
そして「承認欲求」という魔物は、正体を現さずに長年、私の人生を迷わせていきました。
本家の後継をお読みいただき、ありがとうございます。
この続きは、また次回に。