本家の後継 10 遅い自我の芽生
姉も私も、同じ環境だと思っていたのに
本当は同じ環境なんて無い。
お互い「立場」という要素が加わる。
与えられた環境の中に
自分という個性がプラスされて
新しい人格を作っていくのだろうか。
この話は、自分自身の人生を振り返って、その苦悩の中を生き抜いてきた話です。実在する人物が登場するため各所に仮名を使わせていただいています。
隆子の一番困った性格は、ジッとしていれないことだった。
長女のよしこが学校の帰りに隆子を迎えに行った時に「チョットだけ待っててね」と言ってどこかに行った。
隆子には、そのチョットがすごく長く感じる。
不安になって、よしこがどこに行ったのか探し始めた。
よしこが隆子のいた場所に戻ると、隆子はいなくなっていた。先に帰ってしまったのかと慌てて、追いかけるように家へと急いだ。
その隆子は、迎えにきたはずのよしこが家に向かったのを知らない。
みんな帰る時間で、よその子もだんだん帰ってしまい、心細くなってきた。
たまたま、同じ村の人が自分の子供を迎えにきていたので、一緒に車に乗せてもらって家に帰ると、よしこ以外の姉がいた。
よしこは自転車で、保育園にもういちど隆子を探しに行って、村の人に乗せてもらって帰ったのを保育園の先生から聞かされて、また同じ道を一生懸命自転車をこいで家に帰った。
「隆子!待ってろっていったでしょ!」
「いつもジッとしてないんだから!」
こんなだから、
朝、真一が仕事前に隆子を送って行こうとして隆子が見つからないこともあった。仕事に間に合わなくなるといけないので、仕方なく隆子を置いてそのまま仕事に行ってしまった。
近所のおばさんがお昼頃に、隆子が一人で遊んでいるのを見て、隆子に聞いた。
「父ちゃん今日は、仕事休みかい?」
「とうちゃんね、どこかいったよ」
「家にだれも、居ねんか?」
「うん。」
田舎は、人情というか、お互いの敷居の低いところが良いところだ。
隆子は、近所の家で一緒にお昼ご飯を食べさせてもらった。
真一は、置き去りにしたことを後ろめたく思っていたのか隆子を叱ったけれども、激しくは叱らなかった。
それを見ていた、よしこの方が怒った。
こんなことは一回だけではありませんでした。
私は、言われたことをすぐに忘れるし、不安になりやすいところがありました。
「自分がどんな子供だったのか」「どうして他の子と同じに出来ないのか」なんて、もっともっと先になるまで考えられず、みんなと馴染めないことに苦しみを感じていました。
そんなこともあってか、私が小学校に上がる少し前に父が再婚して、新しい母がきました。
小学校に上がってからも同じ延長線上で、相変わらず隆子は泣き虫だった。
同級生の中でも、隆子は成長が遅く感じられた。
忘れ物も多いし、宿題もやってこない。
テストも、0点。
計算が出来ないというよりは、答えを入れる場所が間違っていたり、答え合わせで先生が解答しているのが、どの問題なのかを聞き逃して丸つけに付いていけないことが多かった。
低学年のうちは、生まれ月の遅い子にはハンディがある。
体が小さいこともあって、運動能力も他の子より劣っていた。
何をやっても、隆子は同級生のなかで遅れていたので、いじめられた。
担任の先生も、怖かった。
忘れ物をしたり宿題をやってなかったりすると、容赦無く黒板を指す棒で、児童を叩いた。
隆子は毎日のように、立たされ、
毎日のように棒で叩かれた。
隆子の中には、母に対する気持ちを大人の女の人に求める気持ちが強くあったようで、保育園の時にも小学校低学年の時にも担任の先生が、女の先生だったことでどこか甘えたい気持ちがあったのに、逆にとても怖い先生だったので恐怖心がわいた。
よその家では多分、親が宿題に付き合ったり、忘れ物の確認などをしてくれていたのでは無いかと思う。
隆子の家では、父親が「酒第一」であまり子供のことはかまってはくれなかった。
姉達も、自分のことで精一杯。
時々、姉が宿題を教えてくれることも有りましたが、出来ないと「すぐ怒る」ので、萎縮して何も出来なくなってしまっていたので、姉にも見放されていました。
父の再婚相手の新しい母は、正直なところ、何も面倒は見てくれませんでした。(私がそう思っているだけかもしれません。)
新しい母が出来た時に、私は嬉しかったのを覚えています。
無邪気に甘えてその懐に入ろうとした時に、振り払われて拒まれてしまい、寂しい思いをしたのが忘れられません。
けっきょく、私の面倒は、姉達が時々見てくれることに変わりは有りませんでした。
そして、そんな新しい母の行動に、父が暴力をふるう所を何度も目にすることになり、今まで以上に自分の中に悪いものが蓄積されて行ったのです。
そんな環境を中和させるためだったのか、隆子は学校帰りの「みちくさ」がなによりの楽しみでした。
(それが原因で宿題出来なかったとも言えます。)
田舎だったし、貧乏でお菓子などあまりなかったのもあって、文字通り道の草をよく口にしていました。
教えてもらったものしか口にしてなかったので、毒のあるものはたべたりしませんでしたが、季節ごとの木の実や草の若芽、湧水を飲んだり、畑に成るものなどが帰り道でのおやつでした。
遠回りして帰ったので、なかなか家に帰らず、一緒に帰っていた同級生まで巻き添えにして、親達を心配させました。
天然で迷惑をかける子供(もしかしたら、今でいうADHDなのかな?)だったのを私本人は、自分の人生を振り返るまで気づかずにいました。
こんなダメダメな隆子でも、次第に成長していきます。
続きは、また次回に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?