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三菱の創業者の岩崎弥太郎から学ぶビジネスの根幹

三菱の創業者の岩崎弥太郎が成功した要因は、
「取引先と友人になること」
「謙虚に、三方良しを実行したこと」
である。

はじめに

こんにちわ。ぴくむんです。

私は、
小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」
研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」

ことに対して疑問を覚えていました。そこで、

国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。

この記事では、「実生活に直接役に立つ学問」にビジネスという章を作ろうとしています。
前回は、ビジネスインフルエンサー界の西野亮廣、中田敦彦、青汁王子についてまとめました。番外編として、箕輪康介を取り上げました。
今回はいったんビジネスの〆として、三菱の創業者の岩崎弥太郎について書いていきたいと思います。
誰かの役に立てたら幸いです。

敬称略であります。ご容赦ください。

本文

近年SNSの発達により、よくわからない謎のお金持ちがどうやってその地位を確立できたかについて、調べられるようになった。

今回は、三代財閥と言われた三菱の創設者、岩崎弥太郎ついて例の如く経歴を紹介しながら、なぜ彼が成功できたかについて論じていきたい。

岩崎弥太郎編

まずは、岩崎弥太郎の経歴を簡単に説明する。
・岩崎弥太郎は、地下浪人と言われる武士の中でも最下級の身分の家に生まれた。
・少林塾に入学し、後藤象二郎(後のお偉いさん)に一目置かれる。
・藩(国)の商社の長崎支店の役員に抜擢される。
・戊辰戦争では、土佐藩の戦争の費用を工面した。
・廃藩置県で、藩(国)の負債を背負う代わりに、船2隻を入手し海運業を始めた。
・その後、ライバル会社を買い取って日本一の海運会社になった。
というのが岩崎弥太郎のある程度成功するまでのシナリオである。
詳しくは、下記の参考動画にて。

次に、弥太郎が他の人間と違ったところ
・接待の重要性を理解していたこと
・借金して、船2隻を入手し海運業を始めたこと
・商売意識をちゃんと持っていたこと
・利益を度外視して、国に奉公したこと。
である。

それでは、これらについて一つ一つ迫っていきたい。

人と違っていたところ

接待の重要性を理解していたこと

恐らく岩崎弥太郎は、ビジネスにおける接待の重要性を理解していた。

ビジネスは、安く仕入れて、付加価値をつけて、高く売り飛ばすが基本と言われている。全ては、安く仕入れることこそがビジネスの根幹と言ってもいいだろう。

時によっては、仕入れ先に足元を見られることが度々存在する。
特に幕末から明治初期に関しては、テクノロジーの差から、外国人にはめちゃくちゃ足元を見られてもおかしくない時代である。
しかしながら、岩崎弥太郎はちゃんと外国人を接待したことにより、交友関係を築くことに成功した。

ちょっと自分の話になるが、バイト時代に自営業の中華屋のおっちゃんの話をさせてほしい。おっちゃんは、暇になると色々話しかけてくるのだが、

税務署の役人がきた時は、
「ニイちゃん、嫁さんはおるんか?どこ出身ね?昼ご飯は何食べるんか?ウチで食べていかんか?」
みたいな感じで、必ず身の上の話をするようにしている。
そうすることにより、税金を集金するロボットから人間に戻って、少しぐらい多めに見てくれる。

バイト時代の中華屋のおっちゃん

と語っていた。

私の大学時代の、とある先生も

私が共同研究した時に、機密事項について聞いてみた。
その時は、「教えられない」と断られた。
その後、偶然にもその先生は同じ趣味を持っていて、色々話して個人的にすごく仲良くなった。
そこで、もう一度機密事項について聞いてみたところ、
「職員としては教えられないが、趣味仲間として聞かれたことに答えよう」
と言って色々教えてくれた。

とある先生

と語っていた。

足元を見る人間もロボットではなく人間である。
だからこそ、接待を通じて、相手の身の上の話をしっかりすることで、
入り口はビジネスかもしれないが、いつの間にか友人になることが珍しくない。
そして、友人関係というのは時には利害を超える時がある。

岩崎弥太郎はこれを外国人相手にもやってのけたのである。
外国人のエリートビジネスマンを友人にしまくった。
だからこそ、彼はビジネスの根幹であるいろんなものを安く仕入れることができたのだろう。

借金して、船2隻を入手し海運業を始めたこと

彼は、借金を背負って船二隻を入手し、海運業を始めた。

この時代、まだ輸出輸入業がまだ未発達であった。いわゆるブルーオーシャンであった。彼はそこに目をつけ、借金してまでも船を入手し、運送業を始めたのだと思う。

ある程度成功している人たちというのは、リスクをしっかり背負っているように私には見える。もちろん、意味のない過剰なリスクを取ってはいけないが、適度なリスクを持ち、しっかり管理して、やっていけばいいと思う。

とは言っても、「なんかあったらどうすんだ。」という不安があるが
この「なんかあったらどうすんだ。」という参入障壁があるので、ある程度大胆な行動はブルーオーシャンになるのだとおもう。
あとは、「なんかあったらどうすんだ。」の「なにか」についてできるだけ書き出し、その対策を練るべきだろう。
ここらへんは、自分でも思うところあるので、また機会があれば、別記事にて。

商売意識をちゃんと持っていたこと

彼は積極的にエリート学生を採用(特に慶應大学)をしていた。
もちろん慶應大学の創設者福澤諭吉が存命の時代である。

下記の解説動画で解説されているが、

福澤諭吉はそのことを聞きつけ、岩崎弥太郎に会いに言ったところ、
どこぞの社長みたいに偉ぶっているところはなく、
ちゃんと商売人として働いていることに感銘を受けのちに、
学生に三菱を勧めたそうである。

彼の奢らないビジネス人としての姿勢が優秀な人材採用に結び付いたのだと考えられる。

利益を度外視して、国に奉公した。

岩崎弥太郎はいく度もなく利益度外視にして、国に奉公した。
結果として、彼はいく度もなく政府からの払い下げ(格安で売ってもらうこと)や情報の先取り(インサイダー取引)という多大なる恩恵を受けることができた。

恐らく、目先の利益に追われて国に奉公しなかったら三菱財閥は築くことはできなかっただろう。

三菱の社訓にも

中小企業を圧迫してはならない、国益に沿う事業を選定せよ。

というものがあることから、岩崎弥太郎の国に尽くすという信念が伝わってくる。

国あっての国民である。
我々日本人は先祖を大事にする民族である。
その先祖を守ってきた日本を失われることはあってはならないと思うのが
武士の身分の家に生まれた岩崎弥太郎の魂に刻み付けられているのだろう。

分析

以上が、岩崎弥太郎から抽出できるエッセンスである。

ここからは、それを現代で使える教訓に変換してみると、

・取引先とビジネスの関係を超えれるように接待すること
・謙虚に、三方良しを実行すること

になると思う。

取引先とビジネスの関係を超えれるように接待すること

これは、現代社会においては逆境する流れかもしれない。
接待だるい、飲み会嫌い、自分の世界大好きという現代において、難しいかもしれない。
しかしながら、そのような付き合いをする人間は少ないということはブルーオーシャンである。ちょっと頑張るだけで、簡単に成果が出るということである。

よくよく考えてみれば、会社単位ではそのような飲み会嫌い現象が起きているが、
オンラインサロンでは集まるの大好き現象が起きている気がする。

オンラインサロンでは、インフルエンサーがファンに対してファンを超えた関係を築いていっている。実際にインフルエンサーと飲む権利を売って飲みにいったり、一緒にビジネスしたりすることが何も珍しいことではない。

昔は、会社の関係スタートでビジネスの関係から友人関係になっていたのが
今は、コミュニティ関係スタートで他人の関係から友人関係になっているのだろう。

結局起こっていることは一緒なのかもしれない。
特にかくにも、大事なことは、ビジネスの世界でちゃんとした友人を増やすことであろう。それが最も重要である。

謙虚に、三方良しを実行すること

現代社会は、謙虚でない、見えすいた汚いものは嫌われる傾向にある。
だからこそ、

三方良し
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。
売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。
近江商人の心得をいったもの。 

https://kotobank.jp/word/三方良し-514839

が求められる。

自分だけ得をしようと言う考えは、いつまでも続かない。
一回うまくいったとしても、リピーターになってくれることはなく、一回切りの関係であり、それを仕事にしていくことなど不可能である。

ビジネスの世界にいる以上、「安く仕入れ付加価値をつけて売り飛ばす世界」から絶対に逃れることはできない。
だからこそ、その根幹である「安く仕入れ」のためにまずは取引相手と良好な関係を築く必要があるのだろう。

それを忘れないためにも、三菱をみるたびにこの教訓を思い出すことを心掛けたい。

まとめ

それでは、我々はどうすればいいか。

・SNS、ココナラのようなマッチングサービス、などの何らかの方法で優秀な人材を見つけて、
or
・自分にとって良いコミュニティに探して参加して、優秀な人材を見つけて、

友人になっておく。

これが最も覚えて帰って欲しい学びである。

さっきも述べたが、ビジネスの基本は、安く仕入れたものに付加価値をつけることである。問題はその安く仕入れる先を探さないといけない。
そして、友人関係は時として利害を超える。

今は良い時代になり、ネットワークが発達し、ダイレクトにクリエイターと繋がれるようになった。
その利点を活用し、自分の持つスキルに掛け合わせたらとんでもない商品
(低価格で考えると動画や漫画や文章やwebサイトやアプリ)
を作ることを考えたら、きっといいビジネスができるようになるだろう。

もちろん、探す場所はSNSではなくオンラインサロンのようなコミュニティでもいい。コミュニティであれば共通の話題がある分、仲良くなりやすいだろう。

もちろん、そんな利益しか考えない人間が寄ってきても友達にはなりたくないと思うので、そこは「謙虚に三方良し」精神をしっかり身につけて、実践していきたい。

あとがき

岩崎弥太郎は、幕末を生き抜いた人物として興味を持っていました。
彼は運がいいことに、彼は尊王攘夷行動に一生懸命にならなかったので、生き乗ることができたのかなと思いました。
そして、類稀なる外交技術でビジネス世界における激動の明治時代を駆け抜け財閥を築いたのだと思います。

最後に、自分ごとの話になりますが

自分は本当に絵が書けないので、自分の書いた記事の内容をグラレコ(一枚の画像に絵付きまとめたもの)にしたいのですが、諦めているという状況であります。
そんな時に、弥太郎の話を学んだので、活動を支援してくれる人を募ってみるもありかなと思いました。

見ての通り全く収益化とは、遠い活動をしているので、自分の記事でお名前を紹介することぐらいしかできませんが、もし絵が書くのが好きな人で、自分の記事に共感してくれて、1回ぐらいならお絵かきしてもいいよっと言ってくれる神みたいな人がいるのであれば、Twitterで連絡してくれると嬉しいです。

実学ビジネス編では5回にわたって、ビジネスインフルエンサーを取り上げました。自分の中で満足したので、今回の岩崎弥太郎編で一度ビジネス編は終わりにしたいと思います。
また、意欲の掻き立てられる人に出会ったらまた書きます。

↓マガジンにしてまとめました。

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参考動画

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