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いい感じを目指してwebサービスを開発した末路

導入

実際に起業してサービスを走らせている人とミーティングして頂ける機会をいただき、その中で色々思ったことがあったので、ちゃんと自分の思ったことを書き出してみることにしました。

本文

何か人は活動をする時、
「なんか、これやって良い感じになったらいいと思ってます。」
と思いながら活動している人が多く、大多数の人間が「良い感じ」にならなくて活動をやめていくような印象を受ける。

残念なことに自分がその中の一人になりそうな雰囲気を醸し出している。
というのも自分は4ヶ月あまり以下のようなweb開発をおこなってきた。

「良い感じ」を目指して開発を始めたwebサービスではあるが、
誰も使わないし、使われる雰囲気もないというのが現実だろう。

なぜこうなったのかというと、自分で振り返るとwebサービスの重要なロール(役割)を全て、「良い感じ」という日本語一つで、中間層をブラックボックス化したのが最大の要因だと思われる。

とあるコミュニティのお話

ちょっと話が変わるが、私は今とあるコミュニティサイトに入っているのだがそこでは往々にしてこのような発言が見受けられる

私もアイデアあります!実現すれば日本が世界一の経済大国になります。

恐らくこのような人たちは、何かコアとなるような活動方針(自分でいうと博士課程の口コミ)があって、それを実行すれば、「良い感じ」に世界は回り出すと本気で思っているのだと思う。(もちろん私もその一人である。)

しかし、ここで考えたいののは、

アイディア

世界一の経済大国

というロジックに対して、物事を達成する上で最も大事な中間層が抜け落ちているということである。

物事を達成する上でなぜ中間層が大事かと言えると
「東大に入るために1日20時間勉強する」というアイディアを思いついたところで具体的に何を勉強するのか、その勉強法を実行する胆力がなければ、「1日20時間勉強する」というアイディアに何の価値もないのがわかるだろう。

なぜ我々は中間層が飛ぶのか

なぜこのようなロジックになるのかというと、我々の身の回りには、「セカイ系」の作品で溢れているのが原因の一つではないだろうか

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」

このような作品に囲まれた私たちはいつの間にか、中間層なしに「個人の力で世界を動かせる」と本気で思うようになったのかもしれない。

そして、その末路の思考として現れるのが、
「これをすれば、良い感じになって、世界が変わる」
という思想なのだと考える。

自身の話

以上の話を踏まえて自身のweb開発の話に少し戻ると、
「博士課程向けのwebサービスを作れば良い感じになって、全国の博士課程の現状が変わる」
と開発当初の私は本気で思っていたと思う。

しかし、当たり前であるが
物事を達成する上で最も大事な中間層であることには間違いはないだろう

いかにその中間層を埋めていくかが、物事を達成する上で詰めなければならないにもかかわらず、我々はそれらを「良い感じ」という日本語でブラックボックス化してしまい、思考が停止して、結局そのアイディアを実行したとしても、その先には何も残らないという結果が待っている。

その末路の一つが私の開発したwebページと言ってもいいだろう

最後に

私の好きな「ヒカルの碁」のシーンを紹介して〆ようと思う。

ヒカルの碁 22巻より

このシーンは、
主人公(進藤ヒカル)のありったけの思いをぶつけて試合に挑んだのに現実はひどい有様だった。今はもういない「藤原佐為」が居たらこの現実を打破できるのに、、、と思いながらも、現実と向き合うシーンである

注釈:藤原佐為という無敵チートキャラの幽霊が、主人公に取り憑き、藤原佐為の指示通りに打って、無双していた過去がある


「進藤ヒカル」が「藤原佐為」という幻想に依存してきた人生であったが、このシーンでその幻想と決別したように、

自分もそろそろ、「良い感じ」というありもしない幻想を捨てる時がきたのだろう。

このwebページを投了するのも立て直すのもここにいるオレしかいない。

そして、
ありもしない幻想を捨て新たな道を歩き始めた時、
人はそれを成長と呼ぶのだと思う。

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