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心の音

頭の中で構想もせず、ただただ心の声を綴ってみようと思う。

3月に沖縄県の小学校教諭を退職した。
臨任、教員1年目、社会人1年目だったが、1年生担任を勤めさせてもらった。
本当に良い経験をさせてもらった。

辛い、しんどいことが多かったけれど、それ以上に、笑って楽しい日々だった。

1年間成長も見守った子ども達も、先生方も、教員という職業も、沖縄の地も沖縄の人たちも大好きになった。

そして、繊細なのに好奇心旺盛で矛盾だらけの自分自身を好きになれた。

”自分なんて”が口癖だったのに、”自分だからこそ”なんて思えるようになってきた。

人や環境に恵まれた。

コンフォートゾーンから抜け出し、縁もゆかりもない地へ飛び込んだ自分自身も褒めてあげたいと、今なら思える。

辛い時か多かったからこそ、人生をかけて、子ども達が笑顔で暮らせる世界をつくる手助けがしたい。

そんなふうに思っている。

いま、私は何をしているかというと、地元の奈良へ帰り、小学校教員として働いている。

4月から8月まで産休の先生の代打で、特別支援学級の担任をしている。

学級担任とはまた違った難しさがあり、これはこれで大変だけど、とっても勉強になっている。

特に、保護者の子どもに対する想い。
大切な我が子。
幼少期からたくさんの苦労や願いや葛藤があって、入級をしてきたのだと感じる。

特別支援学級は毎日保護者へノートで、今日の出来事や様子を書くのだが、これがまた神経の使う。

私は8人を受け持っているから、毎日8人の保護者と交換ノートをしているわけで、

そして、その子達の個別の支援計画のもと、授業を構成しないといけない。

同じ学年、学級ならいいものの、異学年、取り出し、入り込みと多種多様な支援方法なため、それぞれのニーズに応えるのが難しい。

支援員さんも入ってくれていない状況で、私は千手観音になる他ない。

言うに易し、行うは難し

なことばかりで、

帰ったら、一日なんもできんかった、、、と思う日々が続いている。

まあ、新学年が始まって1週間だ。

これから、これから、、と宥める。
きっとなんとかなるから、きっと大丈夫だ。
日々、目の前の子に誠実に関わっていきたいと思う。


さて、前の投稿で”大学院留学を目指します!!!!”

とえらい勢いで言ったものの

色々心境の変化があり、
やっぱり教員としてもうちょっとやってみたいという気持ちになり、、

9月からカンボジアへ行くことになった。

カンボジアの小学校で教諭として働かせてもらえることになった。

任期は2年。

しかし、延長可能。むしろ、長いこといて欲しいらしい。

受かるわけないかな、、、と思って応募したが、
熱弁の結果、合格をいただいた。

ちょうど、1週間前に合否が分かったため、浮かれていたが

急に今になって本当に行けるんだろうか?
直前になってやっぱり取り消しだとか
健康診断の結果が引っかかったり、
コロナだったり、
人数足りてます、
とか言われないか、
ダメだった時の予防線を張ってしまう。

これも一種の防衛本能だろうか。

なるようにしかならないのだけど、今不安で不安で。

そして、この選択でよかったのか、今更ならが考えてしまう。

協力隊の募集がもう少しで始まる。
そちらでもよかったのではないか。
なぜ協力隊でも大学院でもない選択なのか、、

それは、PBL(課題解決型学習)の理論と実践を結びつけたかったからのだが

協力隊でもよかったのでは、、なんて思ってしまうのだ。

だが、今更嘆いても仕方がない。

あの時、勇気を振り絞って、応募して、熱弁して、せっかく合格を頂いたのだ。

やるしかないし、ワクワクするのも本音だ。

何を迷っているのだろう。


人生は本当に選択の連続だ。
まだ、23年しか生きてないけど、そんなふうに思う。

何が良くて、悪かった、なんて答え合わせなんてできない。

そんな先の見えない旅路は、よく言えば面白くもある。
ワクワクする方へ選択しているのも確かだ。
それが、不安定だったとしても、それが私の望む生き方なんだ。

今という一瞬、一瞬を生きるしかない。

このよくわからないモヤモヤを綴ったとて、何も解決には至らない。

だけど、少しでも心軽くなれたら、それはそれでいいのではないか。



言葉を綴るという営みは、誰の期待に応えるものではない。

きっと、そっと仕舞い込んでいる自分の心の音を響かせるものなのだ。


こんな風に、心の音を響かせたら、少しずつ自由に、軽やかに、人生は楽しくなるのではないだろうか。


少し心が軽くなったところで、今日は寝ようとしよう。



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