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佐渡に住んでみた

みなさん、お久しぶりです。久々に書いてみようと思いました。現在は新潟県にある佐渡島に移住して生活しています。どうしてそんな選択をしたのかを書いてみました。軽い気持ちで読んでみてください。

移住した理由は2つあります。

1つめは、地域に長期的に関わることができるから。

教員という立場ではないスタイルで学校や教育にずっと関わりたいと思っていた私。

教員だと(主に公立)、避けられないことがあります。定期的な「転勤」
その学校で、その地域でいくら精を出しても異なる地域や学校に転勤してしまえば元の場所で活動を続けるのは難しくなります。

既存のプロジェクトや活動に変化を加えたり、新しいことに挑戦していくのはかなりのパワーと時間を使います。
これは、みなさんもだいたい想像がつくと思います。

準備が整い、いざこれから!やよし、うまくいきはじめた!
というときにTime is upすることが多い。後継者がうまく見つかれば良いけどそんなに簡単なことではない。
だから、あとひと押しで、あと一歩なのに…というプロジェクトや活動がわりとあると思うんですよね。
特に教育分野はより多くの時間が必要となるから尚更。

青年海外協力隊としてブータンに派遣されていた時に難しいと感じたこともほとんど一緒。外部から入って活動するのに場所は関係ない。
あと、やっぱり継続してきた活動を引き継いでくれるヒトを見つけるのもハードだったな。

だから、長いスパンで関われることが必須。

それに加えて、
佐渡では最近島内の学校がコミュニティスクールになったことで、より教員ではないスタイルで学校に関われる幅が広がりました。

この2つの条件が揃った環境があったので佐渡への移住を選択しました。

ただ、コミュニティスクールはまだまだ発展途上中の新しい学校のカタチ。
うまくいかないことが多いのも事実。

なら、まず何から始めればいいか?
今考えているのは、

「目的の見直し」

学校のブラック校則のように目的が曖昧なものやただの飾りになっているものを改めてチェックしていくと、割と解決の糸口は見えてくるのではないかと思います。

めちゃくちゃ当たり前の事ですけど、案外ここが疎かになっていることが多いと感じてます。

目的をはっきりとさせて、ブレない。

本来の目的を見失わない。

例えば、学校は何のためにあるのかーーー。

社会で生きていけるようにするため

だと私は考えてます。
めまぐるしく状況が変わる社会に対応していくには、
「自ら考え、自ら判断し、自ら選択し、自らの意思で行動する」
この「自律」した力を身に着けていくことが今後の学校に求められていると見てます。

ただ、
実現していくには、地域と学校の連携は必須だよな〜。そのためのコミュニティスクールにしないとな〜。
#佐渡から始まる
#新しい学校のカタチ
#サドスタイル

2つめは、
これは私の性格なのかもしれないですけど、

常に新しい環境に飛び込みたいという変態な一面が関係している

と思います。


中学生の時も、地元にもチームはあるのに地元から車で1時間離れたクラブチームで野球をすることを決めたり。もちろん知り合いなんていません。

高校も小中学校の同級生が1人もいない高校に進学して0から友達つくりをしました(野球部以外そんな友達いなかったけど)。

大学も、縁もゆかりもない土地にある場所の学校で4年間過ごしました。

大学時代も、様々な団体や国に1人で飛び込みまくってました。

繋がりが続いている方も大勢いますし(ありがたい、感謝感謝)、普段会わなくてもSNS上で応援してくれる方もいます(感謝感激雨嵐)

卒業後の進路で青年海外協力隊に応募して発展途上国に行くぞという選択をしたのもそういうことだと思います。

周りからは行動力あるねとか言われますが、
個人的にはそんなこと微塵も思ってなくて選択してきた道がたまたま人と違っただけだと捉えています。

関係性を気づいて居心地のいい空間にいる選択も出来たと思うんです。
でも、それじゃワクワクしないことが多くなります。

「居心地がいい」=「甘える」
個人的にこの構図になりやすい。
それを防止している面もあると思います。

そして、今回もいろんな方の支援もあり青年海外協力隊の任期終了後の選択を

地方(あわよくば離島)×教育×ワクワク度数

で探してました。
検索した結果ヒットしたうちの1つが佐渡でした。

7月に1回遊びに来たついでに佐渡の方々と実際にお会いして、話をして
修学旅行のイメージの強い佐渡に移住することを選択しました。


少し長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。


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