学ぶ「場」

ここ数年、辿ってきた道やこれから思い描いている道は正しかったのか、正しいのかなって悩む時がある。大学進学に失敗して浪人したり、大学時代にフィリピンのセブ島でのボランティア経験や青年海外協力隊に応募したことなどなど。

こうしとけばよかったなぁとかこんな道もあったのかとか思う。InstagaramやFacebookの投稿を見て羨ましいと思うこともある。その時は、自分にはそのチャンスがなかったんだと自分なりに昇華して目の前のやるべきことに没頭していた。

でも、今コロナ禍の影響もあるが青年海外協力隊の活動に一区切りをつけた。

次の活動の場を現在探しているが、ここで一回立ち止まって自分が考えていることを少し整理していこうと思う。


高校生の頃から、教育に疑問を感じていたと言えるほど繊細で冷静な見方ができるほど日本の公教育を真剣に見てきたわけではなかった。それでも、「かっこいい」と思える大人が学校の教員の中にも、普段関わっていた大人たちの中にもいなかったのは事実だと思う。自分の目にフィルターがかかっていたかもしれない。世の中のことをほとんど知らなかったのもある。あの当時は野球が中心の生活で他のことに力を注いでいる余裕がなかった。

部活をしていた当時は、部活最高、部活があるから学生生活楽しいんだよと考えていたが、大学を卒業して思うのは「もっと社会について知っておけばよかった」だった。部活が悪いとは言わないし、言えない。部活には、部活でしか味わえない、得られないことが沢山あるから。でも、もし高校生のうちに社会のことを真剣に考える時間がもう少しあればと今は思う。

今の学校教育は、圧倒的に社会のことを知る機会が少ないと思う。特に地域では進学校と言われていた高校に通っていた自分の経験からも言える。勉強づけの日々だったと思う。進路を決める時も、大学の案内や各学部の特徴、将来はこんな職業につくことができますといった文字を睨めっこしながら決めることが普通だった。

これが一般的な進路選択なら、大学の学部に入って思っていたのと違うや大学つまらないとなるのが想像できる。

調べて分かることと実際に現場をみて肌で感じることは全く違うものだと思う。オープンキャンパスなんて居心地がいいように大学が運営しているんだからその大学の「本音」は見えづらくなっているものだと自分は解釈している。

大卒というのは、スポーツの世界では即戦力である。プロ野球でも、Jリーグでも調べてもらえるとわかりやすいと思う。大卒は即戦力として期待されている。これは、4年間で即戦力になるために準備してきたからだ。

それと比較すると、大卒の新社会人はどうだろう?希望した就職先に入社しても3ヶ月あるいは半年以内にやめてしまう人が多い。なぜだろう?準備をしていなかった訳ではないと思う。覚悟が足りなかった訳でもないとおもう。それは、リアルな現場を知らなかったからだと思う。社会とつながる時間がすくなかったからだと思う。

きっと、想像しているより「仕事」をすることは大変だ。バイトなんかとは比べ物にならないくらいきつい上に責任が出てくる。それに、「お金」の負担も出てくる。働くこと、生きることは想像しているより遥かにきついことを知らないのが今の若い人の現状だと思う。

夢を叶えている人ややりたいことを仕事にできている人は自分と向き合いひたすら努力を継続し続けている人たちだ。これは本当に一部の人たちだ。ほとんどの人は、やりたくない仕事ややらなければならない仕事をこなながらその中で楽しみを見つけている人がほとんどだと思う。

そういった現実を知って大学進学、就職を選択するのか、高卒で就職するのと知らないで就職するのではかなり違いがあるはず。実際、自分は知る機会がなく進学した。知っていたら進路をもう少し真剣に考えていたと思う。

前置きが長くなったけど、高校生ないし中学生が社会のことを知る機会って必要ですよねって思うよね。就職活動だからとか関係なく、いろんな働き方や現場のリアルに触れることってものすごく「気づき」や「学び」があると思っていて、それを学校と地域や会社、NPO団体で協力して作っていけたら子どもたちの可能性はものすごく広がると期待してる。

その学ぶ「場」が学校に隣接している施設でも、地域の公民館でもいい。最初は交流するだけでも構わない。子どもたちが、真剣に将来を考える場があるだけで今後の「未来」が変わってくると思う。

学校✖️地域✖️子どもの創造

がこれから必要になってくると。地域で子どもを育てる。学校だけではない、学ぶ場が必要なんだと思っている。

そんな新しい「場」をこれから必死に作っていくことをしていくことを人生の目標にして活動していこうと思う。たまには、大きいことを掲げてもいいよね?


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