マウント取るのやめたい

【検索】 マウント 取るのやめたい

昨日の夜の私の検索履歴。
やはり人間は夜の方が本音が出やすいし、ネガティブにもなりやすいのだなと痛感。マウンティング、通称マウントとは「自分が相手より優位であることを主張する言動」のことであるが、これが専門用語としてでなく一般に使われたり、話題になり始めたりしたのっていつだったろう。
少なくとも私が小学生の頃(2010年付近)はあまり気にされていなかったような。

私は自分で言うのは非常にアレだが幼い頃は神童だった。最近は母にもネタにされ始めており、電話口で「昔は神童だったけどさ、単位大丈夫?」と心配される。ちなみに単位は全く大丈夫ではない。
そんな元神童の私がなぜマウントを取り続け、挙げ句の果てに「マウント取るのやめたい」と検索するくらいまでマウント地獄から脱出できなくなったのか。

マウントを取ってしまう心理状態について、私が思う原因は「自信のなさ」である。そうすると「”自信のなさ”って言えば大体のことは片付くのに何妙案を導き出したみたいな言い方をしている?」とふと冷静になった自分につっこまれるのだが。
確かに「自信のなさ」から生じるものは多様すぎてもはや「自信のなさ」は答えのようで答えになっていないような気もする。
さて、話を進める。前述の通り私は元神童であり、元職の頃はそれなりに褒められた。それによって自己肯定感は高められたのだが、神童職を引退した今、自分で自己肯定感を高めるツールを探していかなければいけなくなった。
歳を重ねるにつれて他者から褒められることは減った気がするし、自分で自分を褒めることがほとんどだがそれでは充足感は得られない。
つまり私は神童の頃に自分で自分の価値を見出すことをしなかったため、自力では自分の価値がわからない人間になってしまったのだ。
だから他の人と比べ、時に貶して自分は他者より優れているのだから価値はあるのだ、と植え付けることで生き永らえてきた。

しかし、それも疲れた。だって現に「マウント やめたい」と心の叫びに赴くがままに打ち込んでしまっているのだ。マウントを取ることで得られる一瞬の優越感も家に帰ってベットにごろりとすれば激しい後悔と恥ずかしさに変わってしまう。なんだかもう寝返りで50m走できそうなくらいに恥ずかしい。

そういうわけで「自分の価値を見出す」ためにnoteを始めることにした。
いきなり自分の存在価値を見つけるのは至難の技なので、考えたことをきちんと可視化していくことをこなせるようにしていこうと思う。小さなことでも達成できたら自分に花まるをあげよう。


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