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ハワイを探して、熱海を目指す


春の日曜日、どうしてもハワイを感じたくなり、熱海へ向かった。

熱海の海岸で、少しの時間だけど、フラソングを流したり、歌ったり。今から考えたら、踊っても良かったかもしれない。

フラを踊ることって、シンプルなことだと思う。衣装が可愛いとか、曲がいいとかの理由ももちろんあっていいけれど、踊りたくなったから踊る。それだけのことだ。ハワイには昔は言葉がなく、自分のことや意思を伝えるために、ハンドモーションで相手に伝えたとも言う。神様へ捧げるための踊りでもあった。

時に日本人が踊るフラはとても派手で、衣装や髪型をやり過ぎ感がすごい時がある。踊っていて楽しいのは分かるし、ショー用のものなのでそれでいいとも思うのだが、自分が踊っているものとは少し違うなと思う。

大好きな人に愛を、自然の美しさを、悲しいことを、神話の世界を踊って伝える。その思いがないと、ただのフラソングに合わせて踊るという、踊りなのだ。

どこのクムフラ(フラの先生)がどうだか、ハワイアンミュージシャンがどうとか、衣装へのこだわり等は、私にとっては枝葉のことのように思える。

日本人特有の真面目さで微に入り細に入りルールを勝手に作ってがんじがらめにして、謎のこだわりが跋扈し始める。本質を見失っていることにも気がつかないで暴走する。私たちの悪い癖でもある。

同じことは、昨今のサウナブームにも起こっている気がする。

サウナにまつわるトークショーに行った時のことだ。登壇した日本人のサウナ好きの方とフィンランド人の方のサウナへ対する考え方が、全然異なっていて驚いた。

日本人が、どこのサウナに、週何回行くか、1年に何回行ったかを話している一方で、フィンランド人はリラックスのために近くのサウナに行くと言う。彼、彼女らは、”趣味はサウナ”という日本人がたくさんいることに驚くそうだ。サウナは、お風呂に入ることと同意で趣味というものではないそうだ。

日本人からの質問で、サウナに「何分、何セット、何回入るか?」という質問は初めは何のことだか分からなかったそうだ。サウナも日本の謎のこだわりに包まれているのだと思った。

様々な国の経理の人と仕事をしているが、期日を守ることやクオリティについて、日本人は本当に優れている。それは日本人の勤勉さや真面目さに由来するものだ。その一方でその勤勉さや真面目さは、フラやサウナを本来の姿から離れたものにしてしまう。日本人によって付け加えらえれた考えを押し付けられることには、違和感しかない。勤勉さや真面目さも裏を返せば、知識だけが多く頑なであることでもある。

よく行くサウナで、サウナ歴ン十年の70代のお姉さまは、一日3時間はサウナに入るらしい。サウナ、水風呂、友達とのたわいない会話を体調に合わせて繰り返す。そのお姉さまから、「サウナで整った!」「朝ウナ」「サウナ飯」というような話は聞いたことが無い。ただただサウナとその空間を楽しんでいるように見える。とても自然だ。

キャッチーな言葉やうんちくは、度が過ぎれば面倒くさいし、うるさいのだ。

元号も変わるし、みんな、もう少し肩の力を抜いて生きた方がいいんじゃないかな。熱海でハワイを空目するくらいが、良い加減ではないだろうか。


今日も良き日をお過ごしくださいませ。

熱海に行った時の様子は下記に書きましたので、読んで頂けると嬉しいです。


いつも有難うございます!