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『ひとはなぜ戦争をするのか』を読んだ
2022/4/24、駅のホームにて読了。
古本市で本書のタイトルが目に飛び込んできて、思わず手に取った。『ひとはなぜ戦争をするのか』、まさに最近抱き続けていた疑問だったからだ。SNS上でもあれだけ多くのひとが反戦を叫んでいるようにみえるのに、どうしてウクライナ侵攻は起こってしまったのか?その答えの糸口を、人類の叡智の象徴であるアインシュタインとフロイトに求めてみたかった。
問題提起としてアインシュタインがフロイトへ向けた書簡のなかで「戦争の問題を解決する外的な枠組を整えるのは易しいように思えてしまいます」と提示した手段には驚いた。常任理事国が有する拒否権を除けば、国際連合の仕組みそのものなのだ。そもそもこの公開往復書簡が交わされたきっかけは、国際連盟によるアインシュタインへの呼び掛けだったが、当時から既に連盟の限界は露呈していた。国際連合が成立したぶん、我々は平和へにじり寄っているのではなかろうか?そう信じたくても、ウクライナ侵攻が起こってしまった今、素直に納得することはできない。
思うに、戦争の発生を抑制するには、為政者を正しくコントロールする必要がある。そのためには①為政者が暴走する可能性を念頭に置き為政者に対する法整備によりコントロールする、②民衆の文化的水準を底上げしより為政者にふさわしい人物を選出できるようにする、という2つの主な方法が考えられるのではないか。
本書の結論も、フロイトの「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」という言葉に集約されるといえるだろう。一見すると、そのあまりにも理想主義的な響きにがっかりするかもしれない。しかし、その結論に至るまでに提示される、生の欲動(エロス)及び死の欲動(タナトス)の相互作用が、戦争を起こす際の人々の精神状態に影響してくるという視点等には、ある程度説得力がある。
ただ、世界中の国際法学者たちが今回の侵攻を予見できなかったことを鑑みれば、この知の巨人2人による往復書簡さえも、机上の空論に過ぎぬかもしれないという虚しさは拭えない。
しかし、本書を頼りに思索の糸口を掴むことはできる。たとえば、フロイトが少し言及していたような「私たち平和主義者は体と心の奥底から戦争への憤りを覚える」というくだり。こうした市井の人々の生活に肉薄した感情にこそ、ヒントがあるような気がする。霧は晴れない。だからこそ、考え続けねばならないと思う。
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