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『夜のミッキー・マウス』を読んだ

2022/2/15、家にて読了。

風邪をこじらせてしまい寝込んでいる。何かしたいのはやまやまなのだが、どうにも倦怠感が拭えないので、ベッドの中で本を読んで時間を潰すより他にすることがない。

発熱のためにぼんやりしている頭で谷川俊太郎の詩集を読む。写真ではわかりにくいが、表紙に描かれた月はラメで塗られており、なかなかすてきである。あるいは、健康な時に読むよりも多少トランス状態で読んだ方が、詩が持つ小宇宙に近づき易いのかもしれない。

というのも、ぼくはだいぶ前(そして健康だった時)にこの詩集を読みかけたことがあるのだが、その時は収録された詩が思ったよりも性的な内容だったことにびっくりして読むのを止めたのだった。思わぬところから出た静電気に触れてしまったかのように、半ば反射的に表紙を閉じたのである。

しかし今しがた読んでみると、なるほど性というのは人間の根源的なダイナミズムだ、ということが改めて了解されるのである。肉体のざわめきがいかに精神の渇望とリンクしているのかが、詩の中で直観的に捉えられているのがわかる。

透徹したことばながら、それが真に意味するところはわからない。詩の魅力とはもともとそういうものかもしれないが、谷川の詩には特にそれが言える。理解できなくて当然だし、理解するものでもないと思う。あとがきの谷川の言葉を引いておこう。

「私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから」

ここでは、この詩集の中から特に好きなことばを抜粋しておくだけに留めよう。

「しすべきものたちのおどるつかのまのあれち」

p.s. 最近、谷川俊太郎のTwitterアカウントを見つけた。端正で精密な挿絵と共に、毎日ひとくち詩が投稿されており面白い。

ことばって、自由だ。





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