日記7

思考をそのまま言語化するための呼吸の一環として英語を身につけるべきである我々なのだと思う

日本語は、一呼吸おいて言葉にしてから発する言語だから、思考をそのまま言語化することはできない、
のにも関わらず、
現代日本人は
日本語を用いていながら一呼吸おくことなくそのまま言うから、
そう、日本語を英語のように使うから、
皆、お互いにお互いの言いたいことを伝えられていないのである
日本語はそうやって使える言語ではないのだよ
と、ぼくは思う

現代日本人はいま、
大事なことは言葉にできないまま、
そう、上べだけの不完全な言葉しか獲得できていないまま、悲しいかな伝えたいことを伝える能力を持たず、まるで他を理解する気も他に理解される気もないかのような、孤独を愛する馬鹿者として生きることを一つの幸せのかたちだと捉え、のらりくらり苦しむ気満々の道を行く

やれやれ


邦ロックはさ、
日本人男性たちの孤独な叫びだったよ
そしてそこに登場する女性はそのさらに上を行く孤独に追いやられていたよ


自分という個を持ちながら
それを出してはいけなくて
その空間の一員としてのみ息をするのを許されて
自分の意志を押し殺してでもその空気に合わせなければならない日本人の国民性がつくる言葉にしてはいけない言葉にならない静か過ぎる孤独は
救いようのない救われようのない大変気の毒なものとなってしまったね



日本語をマスターするまでにはネイティブであっても25年はかかる、

生まれ落ちてから6年で人はおとなになる、

そのおとなになった少年な自分を自分で大人に育てていかなくてはならないんだと思う、

人が変態なのは0-6才までであり、
少年から大人になるまでの間、
そして大人になってからの人間は成長しているため、
本来は変態ではなくなっているはずであるのに、我々馬鹿は、大人になったら変態である事実を隠さなくてよくなると思ってるみたいで、
大人になっても皆、変態のまま、それを当然のこととし、それを恥じることもなくのうのうと生きているという驚き、気持ち悪いよ、本当にもうお前らさぁ、ちゃんと大人になれよ、成長しろよ、なぁいい加減にしろよ

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。