真理18

見えないものは見えないけど、
いや違うのよ、
見えないものは見ようとしないと見えないのよ

見えるものは見ようとしなくても見えるのよ
見たくなくても見えるの見えてしまうのよ

目に見えるものなんて、
つまり、目に見えるものが教えてくれることなんてね、
この世の1割にも満たないよ

オカルト的な話をしているわけではないよ


目に見えるものだけで判断することが
悪いことではなく、責められることではなく、常識で、

目に見えるものだけで
怒ったり、恐れたりするのが普通な社会をつくれば、

とてもわかりやすくて、とても楽で、とても時短になるよね


そんなこんなで
必要な量の10倍、本来のキャパシティの10倍に、膨れ上がってるような、ぼくらの数、


一人一人は、本来持っている能力の10分の1しか出してはいけない

それ以上出すと、力の出しどころの奪い合いになるから

だけど、出せるんなら出してみなよって、言われてる社会の中で、

スーパーアイドルや俳優たちは5出している、
男は5がMAX、女は5がMAXとされている、
皆、本来持っている分の半分のことをMAXだと勘違いさせられている


誰もが誰かに搾取されている、いや、自らの意志で搾取させている
そして自らも誰かの力を搾取するという、無駄に無駄をつくる生き方、
なす術なく、残酷の連鎖を続けている人々である

もしかしたらそれは、ゼロになるための策なのかもしれないね、たしかにな


成瀬あかりは10で生きている
誰に搾取させることもなく
誰かの場所を奪うこともなく
社会の中にいながら、社会の外の無限の空間も含めた中で生きている

三浦春馬は10以上で生きていた、やらされていた、やらせていただいていた人だったような気がする、何をするときも、させていただくと言っていた、人の形をした長寿な馬だったのか、魅力が溢れ、人とは思えないほどの輝きを放ち続けていた



ぼくに見える世界、見たくなくても見えるものは、あまりに恐ろしくて、何もできなかったんだ
見えないものが見えていたのだろうか
こんな恐ろしい世界でどうしてみんなはそんな呑気にいられるのか
理解できなかった、考えることをやめることもできなかった
どうしてみんなはそんなに、まるで簡単そうに、いま自分が生きていることが奪われることなどない当たり前のことみたいに、これが一瞬にして奪われる不安を持たずにいられるのか
あなたがたが明日も当然に生きてるつもりで今日を消費してることがぼくにはさっぱり理解不能だった

どうしてぼくにはただ生きることがこんなに苦しいのか、
いや、それは間違ってる感覚ではないはずだ

何かがおかしいと思ったから
ぼくはこらし続けたんだ
見えないとこまで見えるまで
見なきゃいけないことが視界にちゃんと入るように努力し続けたんだ


ぼくのことを人々は理解不能なやつだと判断していただろうが、

上べだけの浅はかな判断しかできない生き物たち、
時短時短社会の常識を身につけたものたちの言い分はいつも残酷だよな



宮島未奈「成瀬は信じた道をいく」p.44に
成瀬あかり父の心情として
だれに似たのだろうとあったが、

あかりは二人の遺伝子をばっちり受け継いでいる
そして全力で生きている
どちらともに似ている

一切の先入観なく、自分に持ちうる能力を発揮させながら生き、常に学びをしていて、自身の能力を発達させ続けている普通の人なんだと思う


皆、普通に憧れていた、

本来は、誰にも真似できない難しいこと、ではない、人として生まれたものであれば当たり前だったはずの生き方が、

全力で生きることが許されないぼくらにとっては眩しいこととなる

その憧れが嫉妬に変わり憎悪が生まれる

行きたいところにふらっと行きたい、ひとりのひかり暮らし、明日を恐れずに今日を生きたい、戦争と虫歯と宝くじのない世界を夢想してみる。