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コロナ対応と 「失敗の本質」

第二次世界大戦での日本軍の組織としての失敗事由を分析した本 「失敗の本質」 を読んだ.現在の政府のコロナ対応が失敗なのかどうかはまだ渦中なので分からないが,プロセスとして重なるところは多く非常に興味深かった.

意図をそれとなく伝え,明確な指示を出さない

ノモンハン事件における以下の一幕は,外出自粛を要請する政府と,それに応じない店舗との構図とまさに同様である.

関東軍の一参謀がこの計画を大本営に伝えたため,大本営は参謀次長から自発的中止を求めたが,明確な命令指示の形はとらなかった.そこで関東軍は作戦強行を決定し,二七日に作戦を実施した.
「大命により中止を求めなかったのは,関東軍の地位を尊重し,自発的に中止を求めようしたためであるのに対して,関東軍は中央部の意中を無視して強行し,中央部の信頼を裏切った」と参謀本部作戦課長は感じたという.

中央と現地のコミュニケーションの機能不全

レイテ海戦の以下の一幕は,国と自治体とのコミュニケーションで発生している問題と大きく重なっているように感じられる.

日本軍の作戦計画は,一般的にかなり大まかで,その細部については,中央部の参謀と実施部隊の参謀との間の打合せによって詰められることが通例でであったと言われる.しかし,レイテ海戦の場合には,ことは作戦目的とそれに基づく栗田艦隊の目標と任務に関する作戦の根幹にかかわる事柄である.ノモンハン事件の際にも,陸軍中央部は関東軍の自主性を尊重するという形で結局作戦目的についての明確な意思決定を遅らせてしまった.

曖昧な組織戦略による不測の事態への対応の弱さ

これはどの組織でも同じだが,うまくいっている時には組織の問題点は見えづらく,うまくいかない状況になってはじめて 「組織の強さ」 を測ることができる.まさに今見えているものが,日本の組織としての強さだと思う.

日本軍は,独創的でかつ普遍的な組織原理を自ら開発したことはなかった.帝国陸軍が,本来の官僚制が適した大軍の仕様・管理ができたのは,初期の進攻作戦だけである.マレー・シンガポール作戦,フィリピン作戦,ジャワ作戦,ビルマ作戦なででは,作戦の手本のような先制奇襲作戦をやってのけたが,初期作戦以降はウソのように弱体化していった,成長期には,組織的欠陥はすべてカバーされるが,衰退期にはそれが一挙に噴出してくるからである.

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