カミュとドストエフスキー——「幸福な死」「異邦人」を読んで——
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まず、カミュの「異邦人」を読んだ。よくわからなかった。次いでその前身の作品となる、生前は未発表作であった「幸福な死」を手に取った。作者の考えていることが少しずつ解ってきたので、記事にしておこうと思う。
カミュといえば太陽と海だ。上の二作を読んでいても、他に重要な象徴など無いのではないかと思うほどに、この二つでテクストが埋め尽くされている。詩的かつ複雑な言い回しが多いものの、他の作家と比べると、やや構成力に難を感じる(特に「幸福な死」の中盤)。私の直感であって、まだ読み解けてはいないから断言はできないが。
ただし、ドストエフスキーをかなり意識しているのか、作中にそれらしき記述を幾つか確認できた。結論から述べるとカミュは、葛藤の末にキリスト教を肯定したドストエフスキーの否定的後継者、ということになろう。
なお、「海」を「水」と解釈すれば、ゲーテの影響という可能性も考えられなくはない。「異邦人」の主人公ムルソーは「港の海水浴場」にて、ヒロインのマリイと出会う。検討する価値はありそうだ。
罪と罰
新潮文庫「幸福な死」の裏表紙には、このようにあらすじが紹介されている。ここでは下にある、メルソーのザグルー殺しを扱う。
本書に収録されている「『幸福な死』の成立について」でジャン・サロッチはこう書いている。
ラスコーリニコフ同様、メルソーもまた元学生であり、貧乏であり、プライドが高い。同じように人を殺して金を手に入れるが、ラスコーリニコフは流罪となる一方、メルソーの場合は完全犯罪。思想を語り、自分を殺すようにすすめるザグルーは、知恵の実を食べるようアダムとイブをそそのかす、蛇の役割ということになるのだろうか。『人間の条件』はともかく、「罪と罰」に影響を受けていることは明らか。そしてこの殺害の矛先は、「異邦人」ではアラブ人へ向かう。
カラマーゾフの兄弟
・「カラマーゾフ」におけるカナの婚宴、シラー「エレウシスの祭」
fufufufujitaniさんが指摘されている通り、ここでアリョーシャ(アリューシャ)は大地と結婚している。パイーシイ神父による「カナの婚宴」朗読直後の出来事であるから、イエスもこの結婚を祝福している。カナの婚宴を簡単にまとめると、婚宴の席でイエスが、水を葡萄酒へ変える話。
なお第一部三編、ミーチャがアリョーシャに「熱烈な心の告白」をする時、シラーの「エレウシスの祭」の詩を引用、「ただ問題は、どうやってこの俺が大地ととわの契りを結ぶかってことだよ」と言っている。これは上で述べている場面の伏線にあたる。他に書く場所がないからここに記しておく。
この大地とはミーチャが引用しているように、「母なるケレース」、つまりローマ神話の豊穣神。アリョーシャはケレースと結婚したことになる。
また「遊牧民族は野をさすらって 田や畑を踏みあらす」(二五七、二五八頁)とはモンゴル帝国、父フョードルの最初の妻のこと。
・カミュによる「カナの婚宴」換骨奪胎
「幸福な死」第二部第四章の末尾から第五章にかけての内容は、「カラマーゾフの兄弟」の上で説明した部分(ガリラヤのカナ)を下敷きにしている。
私が入手した古本では一五〇頁になっているが、文字が大きくなっている最新版のものだと何頁なのかはわからない。とにかく第四章の最後の最後だ。この場面で確かに主人公メルソーは、母なる大地と結婚している。
上の引用部分には「葡萄畑」とあるが、続く第五章の冒頭でも葡萄は強調されている。「カナの婚宴」のように、泉の水は葡萄に変えられている。
「自然な死」と「意識された死」
二部構成の「幸福な死」。第一部は「自然な死」、第二部は「意識された死」という名前だ。第二部第五章を読めばわかるように、ザグルーの死とメルソーの死は対句関係にある。
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