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罪と罰 あらすじ解説【ドストエフスキー】

名作にはわけがあります。なにか独特の工夫がしていあるから、「おお、これは凄い」と思うのです。「苦悩がよく描かれているから」名作、なんてことはないのです。「罪と罰」のキャラ配列戦略は凄いです。

借金地獄と悪徳出版社が傑作を生む

ドストエフスキーは追い詰められていました。女性関係のもつれ、借金地獄。溺れるものは藁を掴みます。そして一層溺れます。借金地獄から逃れるために、ドストエフスキーは馬鹿なことにカジノに通いました。定番ですね。そしてより一層の地獄に転落しました。これまた定番ですね。救いようがありません。

地獄の底でのたうちまわって苦しむドストエフスキーの前に、ある日悪魔のような出版社が現れました。金を貸す代わりに、長編小説提出しろと言うのです・・・・・・・・・・・

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かくて人類史上に燦然と輝く、この傑作が生まれました。まずはカジノさんと悪徳出版社さんに感謝しましょう。天才というものはこうでもしないと、フルパワー出さないものなのです。

まずはあらすじ(ネタバレあります)

元大学生ラスコーリニコフは、貧乏なくせにプライドが高く、「俺は天才だから許される」と思って高利貸し老婆を殺して金を盗ります。しかし警察には追求されるは、だんだん罪の意識が芽生えるわで、悶絶して苦しんだ挙句、最後にとうとう自首します。外部(警察)との戦いや、内面(自分の良心)との戦いが、ハラハラドキドキ盛り上がる小説です。

と書くと軽い小説のようですが、実際読むと正体不明の巨大さを感じます。大きな熊と数時間格闘した夢でも見たかのような、そんな気分になります。だから名作と呼ばれます。

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江川卓の洞察 666

かつてロシア文学者の江川卓(えがわたく)が、「謎解き罪と罰」で驚くべき仮説を提示しました。

主人公、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフの頭文字は、ロシア文字ですとPPP(英語のRはロシアではPになります)です。そして、PPPをひっくり返すと666になります。666は新約聖書「ヨハネの黙示録」に出てくる数字です。アンチキリストの獣の額に666と書いています。

つまりラスコーリニコフはアンチキリストとキャラ付けられているということになります。30年くらい前に出された仮説ですが、まだ決着を見ていません。しかし作品内容を詳細に検討してゆけば、それが的確な直感であることが明らかになります。以下に説明してゆきます。

最大のガンはロシア名

ロシア小説を読み進める上での最大のガンは、ロシア名です。死ぬほどわかりにくいです。

「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」が、劇中最低4種類の呼ばれ方をします。
1)正式名称 ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ
2)名字だけの呼び方 ラスコーリニコフ
3)名前+父姓の呼び方 ロジオン・ロマーヌイチ
4)愛称 ロージャ。

主要登場人物だけでも20人以上居ます。そして20*4=80種類の呼び方。覚えられません。結局混乱してストーリーが把握できなくなり、途中で放り投げてしまいます。そこでここでは名前を単純化して説明します。ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフを「主人公ラスコ」と表現します。これで最低限読み進められます。

グループ分けして登場人物把握

主要登場人物は6人がワンセットの、いくつかのグループに分けられます。江川の666とは、こういう意味だと思われます。以下画像をクリックしてご確認ください。

公務員系

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公務員系は、警察、検察、役人、将軍です。この人たちの特徴は、妙にニュートラルなところです。火薬中尉は突発的に怒り出す性格ですが、すぐに忘れてしまうさっぱりした性格です。イワン将軍は、マルメラードフに職を与えてますが、遺族に年金はあげません。役人レベジャはマルメ妻カテリーナを殴るくせに、義理の娘のソーニャを弁護します。

もっとも特徴的なのは主人公ラスコと議論対決をする検察ポルフィーリです。このひとはそもそも尋問の仕方そのものがニュートラルで、「おまえがやっただろう」と「おまえはやってないだろう」が同頻度で出現する奇っ怪な言い方をします。

自活系

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商売の職種はともかく、自分の力で糧を稼いでいる人々です。いずれも誰かの犠牲になっている、あるいは誰かを支えています。

例えば友人ラズミは、主人公ラスコの友人ですが、下手な兄弟よりもラスコを助けます。面倒を見た挙句に、主人公ラスコの借用証書を10ルーブル払って回収し、ラスコがペテルブルクから出られない状態になっているのを解消します。

不労系

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遺産があるなり、人にたかるなりして、働かずに生活している人々です。
貧乏だったり金持ちだったりしますが、働いていないのは共通です。このグループは主人公ラスコ以外は皆死にます。他にも死ぬ人は居ますが、ここの死去率は高いです。いずれも傲慢で、多弁で、身勝手です。

蛇系

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人を悪の路に誘い込みます。特徴として、足の悪い人が多いです。ようするに蛇です。カペルナは仕立て屋です。アダムとイブは知恵の実を食べて恥ずかしさを知り、体を葉っぱで覆います。だからカペルナは服を仕立てます。

ほかにも数個できそうなのですが、まずは重要なこの6人組*4を把握してください。

「罪と罰」 登場人物一覧

まとめた画像ファイルです。ダウンロードしてプリント、手元に置いて読み進めてください。実はこれでもわけがわからなくなるときがあるのですが、勢いで乗り切ってください。

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「カラマーゾフの兄弟」登場人物表

のちの小説「カラマーゾフの兄弟」では、より一層ブラッシュアップしたスタイルで、このグループ化の技法が使われています。


三兄弟が現在、過去、未来に展開します。しかし、この「罪と罰」もなかなかのものです。

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どうしてこのような登場人物配置にしたか

どうしてこのような登場人物配置にしたか、作者の気持ちになって考えてみましょう。

短編小説よりも長編小説のほうが、大きな感動は狙えます。大河ドラマの見ごたえがあるのです。しかし長編には長編の難しさがあります。長編小説で登場人物が少ないと、どうしても退屈になります。同じキャラばかり描写されると飽きてくるのです。
そこで作者は読者に興味を持続してもらうために登場人物の数を増やします。しかし色んなキャラクターが登場すると、物語の中での主人公のウエイトが減少します。結果、主人公のドラマへの興奮は相対的に薄くなります。主人公がただのワンオブゼムに成り下がるからです。
これはいかんと主人公の出番を増やせば主人公のドラマは強くなりますが、やっぱり場面的には単調になります。

驚異の小説技法、キャラのグループ化

主人公のドラマの興奮を減らすこと無く、多くの登場人物がにぎやかに彩る飽きない物語を作るには、どうしたらよいでしょうか?ドストエフスキーの解決策は、グループ化でした。

金持ちスヴィドとアル中マルメは、主人公ラスコと同一グループです。アル中マルメは酒で自滅します。金持ちスヴィドは女で自滅します。主人公ラスコは金で自滅しかかって、ぎりぎり再生できるのですが、その再生は金持ちスヴィドとアル中マルメを背中にしょった再生です。彼一人の再生ではないのです。多くの人の再生なのです。いうなれば人類の再生なのです。

このような作り方によって、ドストエフスキーの小説は「巨大なものに触れた」という印象を読む人に与えます。

巨大に決まっています。個人の物語を読んでいるうちに、いつのまにか個人の背後に、「罪と罰」の場合には5人の人間がひっついているのです。

旧約聖書と新約聖書

「罪と罰」は旧約聖書の舞台に、新約聖書のストーリーが乗っかってる構造です。

旧約聖書 創世記

舞台になっているペテルブルクは、エデンの園です。罪を犯す前、主人公ラスコはろくな服を着ていません。アダムとイブ状態です。寝ては砂漠のオアシスに居る自分を夢に見ます。オアシスで水を飲んでいます。ようするにエデンです。エデンの園には知恵の木があり、その実を食べることは禁じられています。しかし、蛇族がそそのかします。そして主人公ラスコは罪を犯します。知恵を得ているとも言えますが。服は入手出来ますが、最終的に楽園は追放されます。追放された後、流刑地での描写を見てみましょう。

「そこでは、あふれんばかりの陽を 浴びたはてしない草原に、遊牧民の天幕が、かろうじて見えるほど黒く点をなして散らばっていた。
そこには自由があり、こちらの岸とは似ても似つかない別の人々が住んでいた。時間そのものがまるで静止し、アブラハムと家畜たちの時代がまだ過ぎ去ってはいないかのようだった。」

ペテルブルクというエデンの園を追放されて、人間の物語が始まったのです。

新約聖書:ラザロの復活

新約聖書ヨハネ伝の「ラザロの復活」の奇跡を、作中恋人ソーニャが朗読します。死んで石の下に安置されていたラザロが、イエスの言葉で復活し、石の下からノソノソ出てきます。この「ラザロの復活」が「罪と罰」の最も中心に据えられた話です。形を変えて6回出てきます。

6回の「ラザロの復活」

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主人公ラスコが投稿した論文は、出版社の倒産で流れてしまっていました。それを他の雑誌が拾ってきて、出版されました。

マルメ妻の学生時代の賞状は、トランクの中に埋没していましたが、アル中マルメの追善供養に出現します。

そのマルメも、死んで棺の中に入っていたはずですが、娘の恋人ソーニャは翌日父が外を歩いているのを見ます。

そして、盗んだ財布はラザロとまったく同じように石の下に埋められていましたが、逮捕後自供によって、ラザロと全く同じように復活します。

お金の復活からしばらくして、主人公ラスコの魂も復活して、物語は終わります。

主人公ラスコの復活は、だから人物のグループ化と同じように「巨大さ」を感じさせる、感動的なものになるのです。人物と同じように、主要な行動もグループ化され、多彩さを持ちつつ反復強化されます。

666に注目した江川の洞察は正しかったのです。

ドストエフスキーの貨幣観、経済観

見てきたように、ドストエフスキーは貨幣を否定していません。盗んだお金はラザロのように石の下に埋められ、かつ復活します。その復活は主人公ラスコの魂の復活と対応しています。そして論文や賞状など、文字情報の復活とも対応しています。作家で文字情報の存在意義を認めない、ということはありえませんから、彼は死者の復活も、貨幣の永遠性も信じていたのです。

紙幣の復活を信じる、つまり「紙幣は死蔵されてはいけない。流通しなければならない」というとこと、言い換えれば「金は天下の周り物」ですが、これは大変常識的な考え方です。

常識的というとまるで価値が無いものかのようですが、実は貨幣や通貨発行権を扱った文学作品で、このように常識的な考え方ができてきる作品はむしろ稀です。

文芸と貨幣

文芸と貨幣、文字と数字は、しばしば反目します。というか貨幣は文芸から一方的に憎まれることが多いです。例えばワーグナーのニーベルングの指環は、通貨発行権を呪わしいものと考えています。派生作品である「千と千尋の神隠し」も、通貨の増発には否定的です。トルストイの「イワンの馬鹿」は名作ですが、通貨発行をはっきり「悪魔の仕業」と見なしています。ドストエフスキーは、巨大でグロテスクな作家と思われがちですが、考え方としてはもっとも正統的で常識的です。言い換えれば普遍性があります。社会全体を公平に観察出来てきます。

読み書きとお金の対応

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登場人物が読み書きするシーン必ず対応するお金とのからみがあります。これも6回あります。

先に述べたように、主人公ラスコの論文は一度お蔵入りしてから復活していますが、
ラスコの盗んだお金も石の下から復活しています。
ラスコ母は息子に手紙を送り、又送金もします。
ラスコはに検察ポルフィーリに「自殺するなら書き置きしてお金の場所を書いてくれ」と言われますが、ラスコの分身とも言える金持ちスヴィドは、ポルフィーリに頼まれたわけでもないのに、自殺の前に書き置きしますし、有り金全部人々に配ります。
著述とお金をパラレルで表現しています。

さて話は最初に戻ります。ドストエフスキーさんがこの原稿を書いたのは、確かカジノで借金が膨れ上がって、そこに悪徳出版社が現れて・・・・・・・・

章立て表

最後に一応分析に使った章立て表置いておきます。これをエクセルで作って、じろじろ眺めるのが大作理解の第一歩です(もちろんマニア用のもので、一般読者が作る必要全くありません)。

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しかし研究するとなれば、そして対象が名作ならば、章立て表と登場人物一覧表は必ず作らなければいけません。その2つを作れば、どんな大作でも十分な分析ができます。
6章+エピローグの7章構成です。ここでも「6」が出てきます。中心は4の中央あたりです。そこに「ラザロの復活」の朗読があります。こういう整然たる構成、素晴らしいですね。

しかしよく考えたら、このアプローチ方法、漢字文化圏じゃなければ無意味ですね。アルファベットの羅列では、一覧表みてもあまりわからないと思います。日本人なら、「これが全部ひらがなで書かれていたら」と考えると納得いただけると思います。漢字ならば、図形みたいなものですから、眺めてるだけでゆっくりと構造見えてきます。表を作るのが面倒ですけど。

甘井カルアさんの考察です。
「7」という数へ至る数字として「6」という数字は存在しているようです。

私読めていませんでしたが、ようは共産主義批判なんですね。


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