支援の難しさ

先日共同養育関係で取材したお母さんから話を聞いた際、支援の難しさ、そして長い目で見た支援の重要性というものを改めて考えさせられた。

この方は元夫のDVを理由に子どもを会わせたくなかったものの、裁判所で月1回の面会交流が決まり、ものすごいストレスを抱えながらも元夫に子どもを会わせていたという。面会交流支援団体の方から「会えるようにしましょう」と半ば強く(?)言われ、「なぜ会わせなくてはならないのか」と反発し、吐き気や頭痛等体調を崩すことがありながらも「裁判所の決定には従わなくてはならないと思い」続けていたという。

この状態が数年続いた後、様々なことがあり「自身を見直そう」と考え、まずは面会交流に前向きになることを決心。そうすると仕事も生活もうまく回り始め、今では娘と元夫は宿泊付きで楽しそうに過ごし、元夫に「ありがとう」と言えるまでになったとのことだった。

話の中で特に印象に残ったのが、体験を語った際、ある別の団体の方から「その面会交流支援団体がしたことはセカンドDVです。さぞつらかったことでしょう」と指摘されたとの話だった。「嫌々子どもを会わせていた時にこう言われていたら『そうだよね、会わせなくていいよね』と、多分もう会わせなくなっていたと思います。当時は面会交流を促す支援者に反発もしていましたが、あの時そうしてくれていてよかったと今では思います。あそこで面会交流をやめていたら今の私はなかった」と。

DVという時、どのくらいの被害であるのか、それが被害者や子どもたちにどのくらいの影響を与えるのか、子どもに会わせない方がいいとした場合そのことで生じる問題との兼ね合い等を判断するのは非常に難しい。各国でも様々な専門家が取り組み、調査研究も続けられている。日本を見ると、他国と比べてもそのことを判断する専門家は非常に少なく、体制も極めて脆弱だ。「DVがあれば会わせない方がいい」との話もよく聞くけれど、親の離婚を経験した子どもたちと話をしていると「DVがあっても会いたいと思う子どもはいる」と聞くことも少なくない。

共同養育や面会交流支援が発達した国々の本を読んでいると、「長期的な視点」での支援の重要性が繰り返し出てくる。目の前の事象はもちろん大切だが、それだけではなく長期的な視点で支援を行うことの難しさ、重要性を改めて考えさせられた。



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