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私の「小確幸」の例

夕方、待ちに待った! とお風呂に直行。
お風呂の蓋の上に敷いた台上にパソコンや飲み物などを持ち込んで、半身浴をしながら1時間くらい過ごし、そのまま仕事を仕舞う……。
‐中略‐
たったこれだけなのに、毎日とてもいい気分で1日が終わっていきます。
コロナに直面した社会全体で、ある意味「許されて」しまったそんな自由な行動が、いつしか毎日の習慣になってしまいました。

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コロナ下から今日まで私が感じてきた「身の丈の暮らし」で感じる幸せは、村上春樹さんが書いた「小確幸(しょうかっこう)」という造語がぴったりだと最近、本を読んで後から知ることとなった。

7月初日、WEBメディア「SAVOR LIFE ‐生活は楽しいー」に、私の場合つまりこんなもの、ということで、私のリアルを書かせてもらった。

村上さんが『うずまき猫のみつけかた』で書いている「激しく運動した後に、きりきり冷えたビールを飲む」という小確幸の例は得意でない私だが、生活の中で大きく変わった小さな幸せといえば、ワクチン接種後に下半身の不調を抱えて以来「お風呂の湯船で体を温める」という行為。

もちろん暑い炎天下から汗だくで帰ってきた時は、先ずはシャワーである。しかし、屋外やカフェで冷たいものを飲んでくると、お腹や足下、足首だけが冷えている…なんてこともあるのだ。

フルリモートならぬ「風呂リモート」の実態

記事では「湯船で体を温めながら物書きや企画をすると、血行もよくなって頭も回転」と、お風呂の中にも持ち込んで仕事をするという、いかにも隙の無い人間を想起させるように「風呂リモート」について書いたが、何かいいことがあった日や、個人的に頑張って片づけた日には〈風呂慰労〉と称し、夕方早めから浴槽に台敷きで簡易に設けた”ちゃぶ台”上で飲んだり食べたりすることもある。

ちなみにアフターコロナの私は、頭から爪先まで清潔になった状態でご飯を食べること(お風呂がご飯の前)が当たり前、その逆(お風呂がご飯の後)など言語道断と言いたいところなのだが、皆さんはどうなのだろう。
コロナ前は体の衛生観もそんなに気にしていなかったはずなのに、不思議なものである。

なにせ「風呂」というプライベートスペースについて、これ以上踏み込んで書くときわどい部分もあるのでこの辺にするのだが、ともかく書きたかったことは、フルリモートならぬ「風呂リモート」のような行動がすっかり板について、これは今の私の小確幸で間違いないということ。


そのほか、飲食にも話を広げれば「母の手が淹れる一杯の”ごちそう”コーヒー」や
「自分を労い、インドの金色小器に氷とレモンを入れて楽しむ一杯のグラス・ウィスキー」
を代表に色々挙げられるのだが、今日は代表例である「風呂」の小確幸にした。

詳しくは書けないが、ワクチンを打って以来、どんどん体調を悪くし、一時は働けない体になってしまうのではないかというところまでいった。

そんな危機感から「生きてさえいればハッピーだ」という心境を経験した私にとって、自分軸のバイオリズムとタイムスケジュールで小確幸を日常に織り込みながら働ける環境は、毎日書いても書ききれないほど有難い。

「SAVOR LIFE」の帰結と重なる部分もあるが、なにしろ「生活は楽しい。」
松浦弥太郎さんも、著書の中で「仕事人間ではなく、『生活人間』になる」と教えてくれている。

村上春樹さんの小確幸の考え方は、これからも心の拠り所にしていきたいと思う。

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