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中国入国準備から隔離ホテル到着まで雑備忘録

本日8月15日、日曜日。(奇しくも光復節/終戦記念日)

上海に降り立って3日目、隔離生活2日目。

本来なら去年の2020年の2月から上海に留学する予定だったのだが、ご存知の通りコロナ先輩のおかげでビザの取り消しに遭った。8歳下の弟は、中学から上海に留学しているのだが、冬休みに日本に帰ってきている間にコロナのパンデミックで帰れなくなってしまい、約1年半をリモートで授業を受けていた。

今の時期、日本人駐在員以外は基本的にビザが出ないのでこんな記事を書いても需要はあまりないだろうと思いつつ、備忘録として残そうと思う。

わたしは来月から上海の復旦大学のICES(International Cultural Exchange School)に入学する。

最初にお伝えしておくと、2021年8月15日時点で日本からの中国ビザは一切停止している。わたしや弟は日本在住韓国人であり、韓国-中国間の留学生ビザは最近再開したとのことで、一度韓国に渡ってから、韓国人としてX1ビザを申請した。もちろん韓国入国の際にも2週間隔離はあるわけで、最早亡命のような旅程である。


上海入国までの流れ
①入学申請(日本)
②韓国入国、2週間隔離
③中国留学ビザ(X1)申請
④中国大使館指定の病院にてPCR検査とIgM抗体検査
⑤グリーンコード(Health Declaration Certificate)申請
⑥韓国出国(レッドコードの発行)
⑦飛行機の中、上海到着
⑧隔離ホテル到着



今回は③~⑥について。

③中国留学ビザ(X1)申請
代行業者に任せたため、正直これはそんなに書くことがない。コロナ事態の影響を受けてか現在の中国留学ビザ申請はかなり面倒くさくなっている。去年一度日本からビザ申請したが、必要情報の量が倍だったので業者に投げた。発行手数料込みで一人10万ウォン(約1万円)ほど。

業者にメールで送られてくる申請書を埋めたものと、証明写真(白背景)とjw202の書類、入学許可書的な書類をメールに添付し送り、内容に問題がないか見てもらう。(ちなみに証明写真は白壁の前に立って撮ったものでもいけた)(おすすめはしない)

週末明け、3年以内の中国への渡航歴のわかるビザの提出と留学先担当者の連絡先などを求められたのでそれも追加で送信。業者からOKが出たら、指紋採取のためのソウルの中国ビザセンター訪問日時を決める。当日、一度業者の事務所に寄って説明を受け、用意してもらった書類とパスポートをもってソウルのビザセンターを訪問し、書類を提出し、指紋採取。あとはビザが発行されるのを待つ。正常に進めば、3日で発行される。いつの間にかビザに顔写真が載るようになっていた。

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④中国大使館指定の病院にてPCR検査とIgM抗体検査

ビザが無事に発行されれば次は中国大使館指定の病院にてPCR検査(鼻咽頭)とIgM抗体検査が待っている。これは出国48時間前に受ける必要がある。ただ、厳密に48時間前ではなく、出国2日前に受ければよい。(わたしの場合8/13出国だったので、8/11に受けた)この2つの検査でダブル陰性を叩き出さねばビザが出ようが入国はできない。

検査を受けるには事前の予約が必要である。向こうも慣れているので中国渡航予定の旨を伝えれば、勝手に結果も次の日発行にしてくれる。(追加料金アリ)検査料金は病院によって開きがあり、15万ウォン~25万ウォン(1.5万円~2.5万円)ほど

あくまでも韓国国内の中国大使館指定の病院リストだが一応リンク
http://kr.chineseembassy.org/chn/lsfw/lstzhtx/t1809084.htm


⑤グリーンコード(Health Declaration Certificate)申請

さきのPCR検査とIgM抗体検査を検査の翌日に結果をもらったら、それをもってHealth Declaration Certificate、グリーンコードの手続きにすすむ。以下のリンクにてメールアドレスでアカウントを作成し、ログイン。そこからグリーンコードの申請にすすむ。氏名、生年月日、電話番号(海外番号可)、国籍などの個人情報から、検査結果の報告及び結果のアップロードなどをしていく。


1人1アカウントでなく、同伴者の分も同一アカウントから申請することができる。


https://hrhk.cs.mfa.gov.cn/h5/

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余談だが、このグリーンコードの発行は大使館職員が目視で確認しているため彼/彼女らの退勤時間近くに申請すると翌日発行になるという噂があった。翌日11:00頃に病院で結果をもらってすぐに帰りのタクシーの中で申請をした。(酔った)

途中つまずいたのは、travel itinerary and certification of residence(旅程と居住証明書)というところ。前者はともかく、後者については一般的な韓国人であれば、住民登録カード(韓国の最も一般的な身分証明書)でよいのだろうが、今回のビザ申請においては、日本の実家の住所で申請しているためなんとなくダメな気がした。結局一か八かでE-ticketのスクショと日本の在留カードの写真をアップロードして、これが通った。あとから知ったが、住民登録カードはもちろん、パスポートの個人情報面や中国ビザの写真でも通るとのことだった。

申請が完了するとこのようなオレンジ色のQRコードが現れる。

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これがこのように緑に変わればグリーンコード発行成功ということである。即スクショを取る。

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わたしの場合、12時前に申請し、14時前に緑に切り替わった。一方わたしの申請が終わった後に弟の分も申請したが30分ほどで緑に切り替わった。12時台はお昼休憩の時間だったために2時間ほどかかったのだろうか…。先の噂は案外本当なのかもと思ったりした。

こんなに焦って発行したグリーンコードはチェックインカウンターでくらいしか使わなかった。


⑥韓国出国(レッドコードの発行)→上海到着、隔離生活開始

今までは国際線でも2時間前に到着すれば余裕だったが、今回は色々と過程が多いのと、以前チェックインだけ済ませて外のカフェでイキっていたらフライト20分前となっており、あのクソ広い仁川空港をヒールを手にもってCAさんにキレられながら裸足で半べそで全力疾走(当方50m走12秒)した経験から教訓を得て、3時間前に到着した。

チェックインを済ますと、隣の少し開けたスペースに案内される。
そこでQRコードを読み取るよう指示され、またグリーンコード発行時と似たような個人情報や、問診票のような記入を求められる。(アップロード系はなかった記憶)中国人、韓国人問わず皆手こずっており職員さんが教師のように見回っては不明個所については丁寧に教えてくれる。そうして発行されるのが「レッドコード」だ。

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これは飛行機の中や上海到着後も何度も提示を求められるので、これも即スクショを取る。

⑦飛行機の中、上海到着
今回飛行機はビジネスクラスだったが、機内食は最初から席に準備されている水とパン、お菓子の箱のみ。ヘッドフォンや毛布の貸し出しはない。(クソ寒かった)

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機内のスタッフさんは全員防疫服に身を包んでおり、定期的に体温を測りに来る。

上海浦東国際空港に飛行機が到着してもすぐには降りられない。
少しずつスタッフの指示に従って降りていく。わたしが下りたのが上陸して40分ほどたった後だった。

そのあとは流されるように空港の中を進み、求められるままにレッドコードとパスポートを見せる。このようにPCR検査への同意書へのサインも求められる。

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これをもってプールの匂いのする仮設住宅のようなところに進むよう言われる。

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ついにこの時が来てしまった。

なかには机と椅子が並んでおり、向かいに防疫服に身を包んだ検査員たちがいる。中国入国時のPCR検査は鼻に突き刺し、抗体検査は喉の奥を突き刺す。死ぬほど痛いと、最近中国に入国した韓国人のブログのほとんどにはそう書いてあった。

韓国で受けるPCR検査も鼻に突っ込むタイプだったし、それなりに痛かったがどう頑張っても3秒ほどで終わるのである。中国のそれはより長い綿棒をそんなところ鼻から突っ込んで抉っていいとこではないやろ、というところをぐりぐりしたうえで10秒ぶっさしたまま待てと言われる。最早この時期に入国してきやがって!という怒りすら感じる。

部屋中で人間がえずいており、絵面もサウンドも最悪である。

自分の番が回ってきたときに、唯一一生懸命練習したセリフ、请轻一点!慢一点!谢谢!(ゆっくり!優しくしてください!ありがとうございます!)を狂ったように唱えた。わたしの検査官のスタッフナンバーは松19であった。


请轻一点!慢一点!谢谢!^^」
松「(頷)」
「(こいつほんまに聞いてるんか…)10セカンズ⁉⁉リアリー⁉⁉;;」
松「2セカンズ」
「まじか!!よしいこう!!!よろしくお願いいたします!!!!!」




普通に10秒しっかり抉られ、こんな時期に入国してきた分際で申し訳ないが「貴様ああああああ!!!!!!!!!」と心の中で叫ばせていただいた。

そこから入国審査を経て荷物を受け取り、ちゃんと見てるのか見てないのかよくわからない税関を通り、隔離ホテル行きのバスの待合スペースに通される。元々、今後の居住エリアによってホテルのエリアが異なる。弟の学校と、わたしの学校はエリアが違うので当然別エリアに振り分けられるものと思っていたが、わたしが中国語ができないということを伝えるとあっさり弟と同じホテル行きのバスの待合スペースに通された。

待合室スペースにて待つこと約1時間。気が付くと20人ほどのおそらく同じ便に乗っていた韓国人や中国人が集まっていた。すると、防疫スタッフがこちらに並ぶよう号令をかけ、バスまで連れていかれる。ちなみに、上陸したのが現地時間で15時過ぎ。バスに乗り込んだのが18時半である。しぬ。

大きな観光バスの荷台に荷物を積み、乗り込む。この時点でもどのエリアのどのホテルに連れていかれるのかは全く知らされない。そもそも隔離ホテルは選択権もなく、本当に着くまでホテルも、料金も分からない。大体2週間食事付きで4000~6000元くらいになる。支払いは現金、銀聯カード、wechat payのどれか。稀にVISAカードなどの海外カードでも支払いできるホテルがあるようだが、基本的にできないものと思ったほうがいいということで、わたしも当日空港でキャッシングして現金を用意した。

行先も告げられぬままバスは出発し、揺られること約2時間。遂にホテルに到着する。各々の荷物を取り、入口前に集めて、並ぶよう指示される。
並んでる間にあからさまに荷物を消毒される。なんならこんな時期に入国してきた戯けとして正面玄関からも入れてもらえなかった。(被害妄想)


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荷物を消毒され、整列させられている間に隔離生活における規則を口頭で説明される。搭乗者のなかから中国語と韓国語ができる人を募り、通訳してもらうスタイルである。

口頭でざっと説明される規則は以下のとおりである。
・デリバリー、郵便一切禁止(ここは本当にホテルによる)
・部屋から絶対に出るんじゃない
・1日2回検査員が熱を測りに来るので誠実に対応すること
・隔離期間のPCR検査は1,4,7,14日目にそれぞれ行う
・部屋から絶対に出るんじゃない

ここまで読むとお分かりだと思うが、もう扱いは罪人である。

規則の説明が終わると2人ずつ呼ばれ順番にチェックインと会計をしていく。ここでも問診票のようなものを書かされ、より詳細に規則が書かれた紙を渡され、めちゃくちゃ錆びてるエレベーターに乗せられる。

指定の階に着くと部屋まで連れていかれなんやかんやと言われるが、要は今この部屋に入り、扉を閉めた瞬間から隔離生活が始まり、部屋から出るんじゃないということらしかった。そんな脱走する奴いてるんか…。

そうやって部屋に入ってスマホを見ると、21時だった。

フライトの前には寝ないというルーティンがあるわたしはもう死にそうだった。扉は閉められたので、この瞬間からわたしの上海での2週間隔離が始まったのである。

ホテル紹介や、隔離中の必須品はまた次回紹介しようかと思う。

では

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