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なんでやねん!がある方で

『支配する』のが嫌いだ。

それは『支配される』のが嫌いだからというのが大きな理由ではあるけども、それだけじゃない。人生において、自分の『思ってもなかったこと』が起きてほしいからだ。

妻にはいつでも自分の好きな服を着て、自分の好きな趣味を追いかけてほしい。妻はもともとその時々にお付き合いしてきた人の影響を受けやすいらしい。今は一緒にLUNA SEAのライブを見たり、ナイナイのANNを聴いてくれている(秋山先生のときだけ!)のもそういうことなのかもしれない。

妻は私に「髪の毛切ったほうがいいかな?」と聞いてくれる。私は(自分の好きな方にしたら…)とは思うが、それは妻から「ほんま私のこと関心ないんやね!」と言われてしまうので言わずに、「伸ばした方がいいんとちゃう?」と素直に自分の好みを言うようにしている。すると数日後、ばっさり髪を切った妻の姿が。なんでやねん!!…とは思うが、こっちの方が面白い。私は日常になんでやねん!が多いほうがいい。

今の職場も長くなってきて、とりくみのチーフや長になることも多くなってきた。グループのみんなには自分の好きなことで主体的にがんばってもらいたい。そのために「この研修、激アツやったわ!!」とか自分も好きなことを学んで楽しんでることを伝える。主体的にやった結果、ミスがあっても責任は私にある。

組織のためにやるべきこともあるので、それははっきりと「これやってください」とお願いをするしかない。個人的に『支配』のバランスを取りやすいのが職場だと思う。それは他人が集まっている場所だから。

『支配』のバランスは家庭が難しい。特に子どものことについては。

インディ・ジョーンズ4作目でインディが出会った青年が学校を辞めたことを聞いたとき、「学校に行くだけが人生じゃない」というようなことを言うが、映画終盤でその青年が自分の息子であったことを知ると「どうして学校を辞めたんだ!!」と言う。クスッとなるシーンだけど、リアルでもあると思う。

(この子には幸せになってほしい)という願いから、子どもにはこうあってほしいという思いが強いし、それを強制させることが出来てしまう。宿題は先にやってから遊ぶべきだし、YouTubeはなるべく短い時間がよいし、トイレの電気は消すべきだ(まじで消してくれ)。

教育を受けることで子どもは「やりたいこと」が増し増しになっていくが、支配(コントロール)されることで子どもは「やりたくないこと」か増えていく。親は誰だって子どもを『支配』なんてしたくないけど、自分がこの子のために頑張った結果がそうなっていることは往々にしてある。子どもの主体性と『支配』のバランスは難しい。

サッカーは勝つか負けるかわからない。そこが面白いところであり、試合中もなんでやねん!が多発だ。「なんで一人でルーレットしてボール見失ってるねん!」とか「なんでピッチで吐くねん!」とかはユベントスファンだけだけど…

めっちゃ強いマンチェスター・シティは試合を支配できても、結果まで支配することはできない。だから、1つの引き分けと1つの負けを取り上げてヘイトをネットで巻き散らかすことなんてしなくていいんだよ。結果は支配することができないから人々はサッカーを観戦する。

最後に

妻はいつも「ちょっとくらい束縛してくれてもいいのに」「こんな服着てとか言ってもいいねんで」と言ってくれる。私はそのままの妻が好き。だから、ちょっとくらいの支配を求めてくる妻もそのままでいい。だけど、なんか悪いから私も頑張ってちょっと要求している、ちょっとだけ。とりあえずトイレの電気は消しておくれ(妻も!)

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