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考えると感じる

もう30年近く前、学生時代にモロッコを一周しました。

メルズーカの市場で、現地のおじさんに「羊2000頭と山羊3000頭あげるから結婚してくれ」と迫られて、現地のガイドさんが「追い払うこともできるが、羊2000と山羊3000は破格の条件だ。数日考えてみるか?」とまじめに聞いてきたことを以前娘たちに話したら、「え~、ママそれで結婚しなかったんだ~」と驚きの反応でした。

「え?その流れで結婚する?相手、見たこともない人なのに?したほうがよかった?してたらあなたたち存在しないけど」と答えたら、「いや、そういうことじゃないんだけど、世界中でその流れで結婚しちゃう人がいるとしたらママだなと。それにそうなっていても私ママの子供として生まれてたはずだから大丈夫」と朗らかに返されました。

個人的に私を知る皆さんはご存知のように、私は石橋を叩きすぎて割るタイプなんです。娘たちは何を誤解しているのでしょう。

というのは事実なのですが、人と人のご縁ほど面白いものはないなあと再×100くらいな感じで再認識してるこの頃、新しい環境や人間関係に飛び込めるかそうでないかに理屈は関与していなくて、インスピレーションがドミナントであるからこそ、「考えると感じる」を同じように大切にしたいと思います。

「考える」は「理屈」である必要はなく、もっと深く広い感覚的なものであり、あいまいさや刹那的な要素のない「感じる」も同様に広げ、深めてゆける。それが私が一番心地よい「考えると感じる」。

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