最近感じたこと。

なんの話か分かりにくいと思うけど、最初に例え話に付き合ってほしい。

自分たちが小学生で、学級遊びを考える学級会がクラスで開かれたとしよう。

その中で、1人が
「ドッチボールがいい。楽しいから」
と発言したとする。

これに反対したいとき、
「バイオリンを習っている子がいるから、突き指が危ない。鬼ごっこにしよう」
と発言すると

・反対の理由
・反対の理由を踏まえた代替案

が出てくると、ドッチボール自体はこのクラスのメンバーにとっては不都合な遊びで、
そのかわり鬼ごっこならみんなが楽しめる。
という、意見になるだろう。

他にも、
「私はいろ鬼がいい。色鬼の方がおもしろいから!」
と発言すると、

ドッチボール自体が悪いことではないが、さらにいい案があるよ。という意見の提示になる。

さらに、【ドッチボールと色鬼のどちらがおもしろいか】の多数決をとってみると、この意見は個人の意見から根拠のある意見となり、説得力が増す。

何が言いたいのかと、人の意見に反対をする場合は(その意見の内容が、誰かにとって不都合だから反対な内容であろうと、不都合ではないが更にいい案があるから反対する場合であろうが)理由を必ず述べる必要があるということだ。

また、学級会では、意見を出すにしろ出さないにしろ守るべきルールがある。

・話し合いの後多数決で決めたことに後から文句を言わない

・人が話している時は、また耳と心で聞く

・人が話している時は、口を挟まない

・たとえ意見が違っていても相手が嫌な思いをすることは言わない

誰もが、小学生時代に守ってきたルールだと思う。


さて、本題に戻るが、この前国会中継をニュースで見てびっくりした。その話をするために長々と学級会のルールを復習したのだ。

下記の記事の内容

正直、コロナのこと、それに関連する様々な政府の対応は正しいのか、間違っているのか、判断できない。

それは、わたしの勉強不足でもあるし、

前代未聞の出来事に、どれだけ優秀な人でさえ、正しい答えが分からないこともあると思う。

医療の専門家に話を聞いても、経済の専門家に話を聞いても、それに反対する専門家の意見だってたくさんある。

その中で、政治家の方々は、日本のためにより良い意見を出そうとしてくれているのだと思う。

学級遊びだって、今日はドッチボールが楽しくても、毎日それが正解じゃない。ほんとは、今日はドッチよりも色鬼をした方が盛り上がったかもしれない。

ただ、決めたことには文句を言ってはいけないし、それを決める段階では十分にお互いを尊重し体験を出さなくてはいけない。

菅総理の意見が全て正しいとは思わないし、蓮舫さんの意見が全て間違っているということが言いたいわけでもない。

ただ、相手を尊重して話し合いをしなくては、それは話し合いではないのではないかと思う。


誰かが学級会で発言したとする。
それに対して、

「言葉の伝え方が下手。気持ちがこもってない。」
という反対意見は成立するだろうか。
(だいぶ意訳なので原文は読んで欲しい)

そんな意見を言われたら、私だったら泣いちゃうね。
二度と発言しないし、なんでそんなこと言われるんだろうってすごく悲しくなる。

それがまかり通ってしまえば、それは立派ないじめだ。

話し合うという行為は、自分と違う意見が出ることもあるし、自分と違う意見にムカつくことだってある。

ただ、相手の意見を否定することと、相手の尊厳を傷つけることは明確に区別しなくてはいけない。

子供に見られても恥ずかしくない話し合いを大人はしていなくてはいけない。
そうしないと、子供にいじめはダメなことだよ。
相手の尊厳を傷つけてはいけないよ。
と教えることはできないから。

私も含め、子供に見せて恥ずかしくない行動をしようと思った出来事でした。