Netflix 韓国ドラマ『サムバディ』を観て

※ネタバレを含みます。

週末は気絶したように韓国ドラマばかり見ている、社会人3年目の廃人です。今年心の残った作品の感想を(なんとなく)noteに書いてみようと思います。

No.1:Netflix 韓国ドラマ『サムバディ』
今年観た作品の中で、ベスト5に入る程印象的なドラマでした。
まず、色彩のトーンが1話から8話までず〜っと暗い。
「え、画面設定暗くしてたっけ?」と、スワイプして画面設定を何度も確認してしまうほど。ストーリー自体が「ハッピーーーーウェーーーーい」って感じではないので、人によっては1話観終えるのも、しんどいかもしれません。(未成年裁判とか、解放日誌あたりが好きな方には是非おすすめしたい作品です)

個人的この作品のテーマは『すがる存在(心の拠り所)』と『嘘』だと思いました。
登場人物にはそれぞれすがる対象が。
>メインの3人
・ギウン(警察)⇄車椅子
・モグォン(巫堂)⇄将軍様
・ソム⇄サム(AIチャットの中の友達)

ギウンとモグォンはどちらも対象を失った時に大号泣をする。
ただソムだけは違った、というのも彼女は周りの人のように感情を表現することができない。しかし、彼女はサムが壊されたあと、会社を休んですぐに修理する(ショッキングすぎる事件の翌日もいつもと変わらず出社していたソムが)サムを取り返すために。

>そのほかの登場人物にも。
・サマンサ→ソム
・成金男⇄プリンセス食堂のおばちゃん
・教授⇄愛人
・サムバディで初めて出会った女性⇄後から呼び出される男性

ここで気づくのが、「⇄」の関係になっている対して、ユノは嫌悪の感情を抱き、壊してしまうということ。一方通行的な「すがり」には興味がないということ。作中ユノが繰り返していた「あんたのものか?」という言葉も、このせいかと。

そして嘘をつくタイミングでそれぞれのキャラクターが抱える苦しみが垣間見える。
・ギウン→ユノとの行為を偽る(ソムに嘘をついた)
ギウンはユノに対して恐怖、怒り、という感情を持ち合わせていることには間違いないが、ラストシーン、傷だらけの彼女が泳ぐ描写と、ユノが投げたチュッパチャップスが窓際に映るシーン(捨てずにとってた事実)から、なんとなくではあるが、彼女がユノに?(プールや一晩の記憶)を大事にするために、嘘をついている気がした。

・ソム→ユノの存在がバレないように偽る(ギウンやモグォンに嘘をつく)
作中思ったことをすぐに言葉にしてしまい、人の嘘をも間に受けてしまうソムがユノをかばうために、「嘘」をつく。それは守りたいという感情が生まれた瞬間だったと思う。

・モグォン→直接的な嘘はついていないが、
バーで出会った子の言葉「あなたはすがってくる人たちの話をきいて救おうとするのに、あなたの苦しみは誰にも話せないのね、かわいそうだね」(※ニュアンスですません)この言葉がモグォンの闇にも思える。
ユノがモグォンを訪れたとき「俺とあんなは敵でなく、同志だ」という言葉を伝えられた時のモグォンの表情が忘れられなかったりする。自分の苦しみを吐き出せないモグォンには、本当の意味でユノと同じラインに立っていたのかもしれない。

>まとめ
人間はみんな、なにかにすがって生きていると思う。守りたい何かのために、嘘をつく生き物だと思う。そういう生き方に順応していくことが「大人になる」という意味なのかもしれない。そのレーンに乗り切れなかった存在は、ある種マイノリティーを感じながら生きていかなければいけないのかもしれない。それっぽく生きるってなんなのか・・・
けれど、だれかや何かを守るために嘘をついた瞬間「自分が大切にしたいもの」に出会えるのかも、という小さな光も見えたりする。



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