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「優しい間」メーカーになります

PIECESが行う、子どもと自分にとっての心地よいあり方をともに学び、実践するオンラインプログラムCforC。
その受講生たちがプログラムを通して感じた、自分自身の変化や願いについて書いた文章です。

Citizenship for Children(以下CforC)
子どもの心の孤立の解消をミッションに掲げる認定NPO法人PIECESが行う、地域の市民性を醸成するプログラムです。子どもの日常にかかわる人たちの市民性の醸成・エンパワメントを通じて、様々な背景を有する子どもたちに対して柔軟で主体的なアクションが生まれる土壌づくりを行っています。

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参加したきっかけ

子どもと接することは、ずっと好きだった私。児童養護施設の子どもたちと関わる活動を始めて数ヶ月が経ったところでした。

活動の中で、さっきの子どものアクションにはどう返すのが正解だったんだろうと迷ったり、困っている子どもの直接的な救いになれない関わり方そのものにもやもやしたりすることが少しずつ増えていました。ときに過度の正義感から、無力な自分がしんどく感じることもありました。福祉をきちんと学んだこともなく、専門職に従事する訳でもないことに、今思うと引け目を感じていたのかもしれません。

そんな中で出会ったCforC。対子どもとしての私の心の拠り所を得たい、自分なりの正解を見つけたいという気持ちと、「市民性」という言葉になんだかビビッと惹かれたことから、よく分からないけど飛び込んでしまえ!と参加を決めました。

わたしとあなたを大切に

2022年度のCforCへの参加を終えて私に一番残ったのは、「私自身がもっと楽しく過ごしてもいいんだ!」という清々しさ。

講座やワーク、対話を通して、私は私のままでいいんだ、私だっていろんなものを持っているんだ、という感覚が生まれました。子どもだって大人だって、環境に依らず結局はひとりのひと。大人も自分の人生を楽しんでいいし、自分の気持ちを大切にしていい。お互いが「そのまんま」で居られる世の中のほうがみんなにとって楽しいよね、という当たり前のようなことに、納得感を持って気付かされました。

何かを解決しなきゃ、と子どもの困り感を課題だと勝手に捉えていたのは、私のほうではないかと痛感したのが、過去のある一場面を切り取って、自分や登場人物の言動を見つめ直す「リフレクション」。私は施設の子どもたちから、「自分の親はこんなだ」、「自分の親はいない」、「私の親はどんなひとか」など聞かれた場面を取り上げました。当時の私は、なんて答えるのが正解かな?と固まってしまいました。仲良くなって信頼された証として、つらい悩みを打ち明けたいのかしら?とも捉えました。

しかし、これを聴いてくれたメンバーからのコメントのひとつが「フラットに『親とはなんぞや』っていう好奇心じゃない?」というものでした。それを聞いた私は、そんな風に考えたことがなかったし、他の子どもと同じように接しているつもりで違ったんだなあ、とはっとしました。


私は子どものころ、大人に甘えたいけれど上手に甘えるのが苦手なタイプだったと思います。だからこそ、今甘えたい、という子どもの気持ちには、ときに何もする(do)ことができないとしても、ただそこにいる(be)ことで全力で応えたい、と思うようになりました。それが単純に私も嬉しいからです。

私もみんなと温かい時間を過ごしたい、子どもとも大人とも最高の友達になりたい、という気持ちこそが、私の本音じゃないかな。そのうえで、いつか何か困ったときにぽろっと相談されたり、逆に相談させてもらったりできる関係をゆっくり紡いでいければラッキーだな、なんて考えました。


それに、自分で全部しなくていい、私以外にもいろんなひとがいるから、と肩の力が抜けました。対ひとである以上、相性の良し悪しが必ずあります。ひとりでするよりみんなで、個々でするより地域で。生きる場が場としてあったかいものになることが、結局は「みんなが楽しい世の中」への近道だと思えたことは、自分自身の救いにもなりました。

「優しい間」メーカーになります

2022年度CforCの受講を終えたあとも、その後修了生スタッフとしてCforCに関わっているいまも、私がやっていること自体は大きく変わっていません。相変わらず子どもたちと手抜きなしで鬼ごっこをしたり、受験勉強に伴走しながらお話したりしています。ただし、間違いなく私自身もより楽しんでいると思います。

受講完了直後のスタッフさんとの1on1で、「私は『優しい間』メーカーになります」と宣言したのを覚えています。具体的な大きなアクションは特に想定していませんでした。けれど最近、少しは「優しい間」メーカーになれたかも!ということがありました。

私は友人の前では、相手に依らず大抵ありのままの自分でいるつもりですが、自分の活動のこと、子どもへの想いやまなざしのことを一切話題にしない相手も多いです。一般に、ボランティアなんて意味不明、他人のために時間やお金を使うなんて理解できない、という方も中にはいらっしゃいます。そういった考え方を肯定も否定もしませんし、する権利もありませんが、黙っている私も私らしくないなと自覚はしていました。

最近は我慢せず、たわいもない会話の中でも心地の良い範囲で発信することが出てきました。「土日何してるん?」「うーん、子どもと遊んでる」「まじ、どういうこと?ボランティア?しんどくない?」「まあそうやな、でも子どもが好きで楽しく遊んでるだけやから苦じゃないで。いいやろー?」とっさに出た言葉でしたが、私でいられた!と思った瞬間でした。

児童養護施設ってなんぞや?という方も、ただ知らなかっただけで、少し話すとちゃんと理解してくれる。全てを押し付けるつもりもないけれど、自分が大切にしていること・ものについて話してみると意外と関心をもってくれる。共鳴してくれた相手から、こちらが温かいものを受け取る。

職場の寄付先候補にたまたま活動先の団体が挙がったときに、実はプライベートで関わっているんですと紹介してみたこともありました。福祉とも子どもとも直接の縁がある訳ではない職場の「会社員の自分」を脱ぐとき、とてもどきどきしましたが、自分のペースで私らしく間を拡げるって、こんなことでも良いのかなって。

毎朝出会う清掃員の方と、その日のお天気についてほんの数秒お喋りできたこと。玄関先に飾っている花のことを、ご近所さんに「いつも綺麗にしてるね。元気をもらう色やわ」と褒めてもらったこと。スーパーでレジの方の目をみて話せたこと。そんなシーンを日常の雑多として流してしまうことなく「いま温かかったな、『優しい間』だったな」と嬉しく捉えられるのは、CforCで出会えた、ほんのちょっと新たな私ゆえだと思っています。

CforC2022 修了生 あっちゃん

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