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5日目 浜松〜天理(奈良)

■5月28日(5日目)
浜松~天理 250km

8:00 朝風呂
10:00 チェックアウト
11:00 ラーメンチャレンジ
13:00 支援@ラーメン
14:00 浜松城観光
17:00 休憩
18:00 浜松出発
23:00 天理到着
23:30 天理教本拠地礼拝
24:00 就寝

1.ラーメンチャレンジ


*10時。チェックアウト。
今日は、一昨日出会った聴き屋さんに、浜松から天理まで車で送ってもらえる。出発は夕方だ。
出発までの空いた時間で、浜松を満喫するぞ♪
空を見上げると、昨日の雨とは打って変わって、朝から行楽日和!
ただ観光するだけではつまらないので、わたしはあるチャレンジを試みた。
その名も「無一文でラーメンチャレンジ」
今ある資金を使わず、誰かごちそうしてくれる人を見つけたい。
わたしの奢られ力が試される。
どうやって叶えようか?
今まで通り、ホワイトボードに願いを書いてみる。
「無一文 東京→福岡 奉仕丸のラーメン食べたい」
看板をぶら下げて出発だ。
それにしても、毎回最初の走り出しが恥ずかしい・・・。
何度経験しても「見ないで~」の感情が押し寄せる。

*11時。開店と同時にお店に到着。
奇跡が起こるかな?とソワソワしながら待ってみる。
(んーなかなか止まってもらえないなぁ)
まだまだ粘るぞ!と意気込んで座り込む。
間もなくして、店内から店員のおばちゃんが出てきた。
「敷地内でこういうことされると困ります」
(ひぇ~とうとう怒られた)
焦るわたし。
出発前「自己満足を貫く旅」と振り切って出てきた。
どこかで注意されることもあるだろうなぁと覚悟はしていたものの、このタイミングとは予想外。
非常事態に弱いわたしはただ謝ることしかできなかった。
物乞いに見えたのかな。お客さんが入りづらくなると思ったのかな。
本当は、なぜダメなのか聞きたかった。
それに、友達がここのラーメン屋をすごく良いとすすめてくれて楽しみにして来たことも伝えたかった。
残念でならない。
すると、店員のおばちゃんとのやり取りを見ていた子連れのパパさんが、車の中から声をかけてくれた。
「どうしたの?」ラーメンを食べ終わり、お店を後にする様子だった。
「無一文で東京から福岡まで行く途中なんですけど、ここのラーメンを食べたくて」と伝える。すると、
「これで食べて」と2000円を運転席から差し出してくれた。
「うそ!まじで!?親切すぎる(泣)」
パパさんの優しさに涙が出そうになった。
わたしは差し出してくれたお金を受け取ろうと手をのばそうとした。
その時、再び立ちはだかる壁が。
「そういうことも敷地内でやられると困ります!」
現場を見ていた店員おばちゃんからのブロックがかかった。
(えー!何でよ~!親切心でしてくれることを踏みにじるなんて。
与えてくれようとしたパパさんに、何よりも申し訳なさすぎるよ・・・)
とっても心が痛かった。
親切心を向けてくれたパパさんの気持ちを、無下に振り払ってしまった気がして罪悪感を感じた。
「ラーメンチャレンジ」をもしやるなら敷地外でやるべきだったと学びを得た。
このチャレンジのおかげで、実際に想いを見せれば願いは叶うんだってことも、同時に実感した。発信の力ってすごい。

結局、他のラーメン屋さんでお昼ごはんを食べた。
わたしはラーメンチャレンジ失敗の様子をインスタに載せていた。
それを見ていた友達が、PayPayで支援してくれた。
おかげで当初の目的である「今ある資金を使わずに、ごちそうしてもらう」チャレンジは成功に終わった。ありがてぇ。

2.浜松城

14時。 浜松城観光。
夕方まで時間があるので浜松城へ観光にいった。
今回の旅は「人との繋がり」をテーマにしていたから、観光は目当てではなかった。
でも時間あるし行ってみるか~ってノリだ。
正直、お城とかみてもどこが魅力なのかわたしには分からない(笑)
歴史的建造物見るときって、その時代の背景だったり、お城のこういう部分がすごい!っていうのを詳しい人に教えてもらいたい。
(誰か浜松城のこと教えてくれないかな~)
そう思いながらお城を眺めていると、まさかの救世主登場。
おばあちゃんに話しかけられた。
わたしは一通り旅のことを話した後、浜松城の歴史を聞いてみた。
すると浜松城に詳しくて、いろいろと教えてもらった。
どうやら、徳川家康が戦で唯一負けた場所が浜松城らしい。
家康は人質にされていたけど、他の人が身代わりになって命を免れたんだって。
あと、浜松城は出世のお城とも言われてるとか。
(へぇ、おもしろ!わたしも出世しちゃうぞ)

3.旅史上、最長移動距離250km

18時。 天理に向け、浜松駅を出発。

待ち合わせの浜松駅で合流すると、ワゴンに自転車を積んでもらった。
250kmもの長距離移動のお手伝いをしてもらえることに、申し訳なさを感じたわたしは聞いてみた。
「お仕事で疲れてるのに、送ってもらって本当に大丈夫なんですか!?」
倦怠オーラを振り払うかのように返事がきた。
「最近、天理教本拠地に帰れていなかったから良いタイミングだった」
わたしが現れたことで、天理まで礼拝しに行くきっかけになったみたいだ。
ずっとやろうと思っていたけど出来ていなかったことなど、止まっていたものを動かすきっかけになれていたら嬉しいなぁ。

車内では、天理教について教えてもらった。
たくさん話してもらったが、心に残ったことは2つの教えだ。
①「陽気ぐらし」
すべての人が幸せに明るく陽気に暮らしている世界平和の世界。
本来人間の心が持つ明るさを取り戻し、見た目、性別、国、障害など関係なく「全ての人々」が陽気に暮らすことを説いている。

わたしの今までの人生、何事も深刻に捉えていた。
依存と我慢が染み込んでいた。
大学受験で第一志望に行けなかったらこの世の終わり。
恋人と別れたらこの世の終わりだと思いこんでいた。
他に選択肢がないものだと自分を縛っていた。
だから、まわりでお気楽そうに生きている人をみると妬んでいた。
「ずるい。わたしはこんなに我慢していきているんだから、あんたも我慢しなさいよ」そんな負のオーラをまとっていた。
わたしは26年間生きてきて、やっと陽気なわたしを許して受け入れることができた。
これからは、思いっきり楽しいことをして生きよう。

②「かしもの・かりもの」
自分の身体、身の回りの物、周りの人との縁など、全ては神様からの「借り物」である。天理教では死ぬことは「出直し」と呼ぶ。人間の身体が借り物である以上、だんだん歳をとって、いつか使えなくなり、神様にお返しするときがくる。そしてまた、新しい身体を借りてこの世界に帰ってくる。
天理教では天国も地獄も説かれておらず、この世の中でどう生きるかに重きをおいている。天理教では人間の心以外の全ての物を、神様からの「かりもの」と考えるので、人間の心遣いに応じて「心通り」の現実が起こると教えられている。

「死んだらどうなる?」答えのない問いについて、わたしの信仰はない。
ただ、決めていることがある。「死ぬときが一番幸せであろう」ってこと。
すべての生物に共通しているのなら、死を受け入れちゃった方が楽だ。
ならば、わたしは老衰で死にたい!シミュレーションでは、大好きな人とお出かけする当日、靴を履きながらにテンションが上がりすぎが原因で、息を引きとる、だ。「何やねんそれ」というツッコミはさておき。
生涯現役、人生の最期はぽっくりとが理想だ。死後の世界は死んだ人にしかわからない。死んで初めてその答えがわかる。好奇心がくすぐられる。生きているうちは知ることのできない、死を最期に知れるってなんかロマンない?わたしだけがしている秘密みたいで。
あ、もしかしてわたし変態かもしれない(笑)
一応言っておくと、病んでません。生命力に溢れているのでご心配なく(笑)兎にも角にも、今はこの世界を楽しむだけだ!
23時。天理に到着。
初めての天理教本拠地で礼拝を経験させてもらった。
わたしの旅に大貢献をいただいた聴き屋のお兄さんとのご縁に感謝し、わたしは天理教本拠地を後にした。
仕事終わりでお疲れのところ、ありがとう!

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