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“ゲシュタルトの祈り”と“パールズを超えて”〜【ケントの懐かしい日々】
こんばんは!
青森出張中のケントです。
今日は
ゲシュタルト療法という心理療法の創始者
フレデリック・パールズが書いた
「ゲシュタルトの祈り」と
彼の弟子であるウォルター・タブスが書いた
「パールズを越えて」
という詩を紹介します!
『ゲシュタルトの祈り』
私は私、あなたはあなた。
私がこの世に生きているのは、あなたの期待に応えるためではない。
また、あなたがこの世に生きているのは、私の期待に応えるためではない。
私は私です。あなたはあなたです。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。
シェアハウスで暮らしているとき
友達といるとき、
僕はときどき他人との境界線が
わからなくなる
そんなとき、この詩を唱える
僕は僕でいいんだと思える
ただ、ときどき
この詩に孤独を感じるときがある
今日
パールズの弟子であるウォルター・タブスが
「ゲシュタルトの祈り」を受けて書いた
「パールズを越えて」という詩に出会った
「パールズを越えて 」
もし、わたしはわたしのことをして
あなたはあなたのことをするだけなら
お互いの絆も自分自身も見失う危険に立たされる。
わたしはあなたの期待にそうためにいるのではない。
でも、わたしが存在するのは、あなたがかけがえのない唯一の存在と確認するため。
そして、わたしもあなたからかけがえのない存在として確認してもらうため。
お互いにふれあいがある時のみ、完全に自分自身になれる。
あなたがいるからこそわたしがいる。
わたしとあなたとの出逢いは偶然ではない。
能動的に求めるから、あなたとの心のふれあいが生まれるのである。
受け身的に事の流れに身を任せるからではなく、
意図的に求めるから、心のふれあいができるのである。
僕は能動的に身を任せているだろうか?
僕は意図的に求めているだろうか?
僕は心のふれあいができているだろうか?
こちらの翻訳もいいと感じた
「パールズを越えて 」
私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
もしそれだけならば、
お互いの絆も、
私たち自身も失うことになる。
私がこの世に存在するのは、
あなたの期待に応えるためではない。
しかし、私がこの世に存在するのは、
あなたが かけがえのない存在であることを
認めるためであり、
そして私も
あなたから かけがえのない存在として
認めてもらうためである。
お互いの心がふれあった時にはじめて、
私たちは 本当の自分になれる。
私たちの心のふれあいが
失われてしまえば、
私たちは 自分を完全に見失ってしまう。
私とあなたとの出会いは 偶然ではない。
積極的に求めるから、
あなたと出会い、心がふれあう。
心のふれあいは成り行きまかせではない。
自分から求めていったところにある。
全ての始まりは私に委ねられていて、
そして一人では完結しない。
本当のことは全て、
私とあなたとのふれあいの中に
あるものだから。
全ての始まりは
僕にゆだねられているのだ
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