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ゲームセンタービジュアライズ#1

早朝というわけでもないが、オレは確かにそこに立っていた。ゲームセンター。開店前の薄暗い店内に入り開店する様子をよく見ていた。店員も開店が先で用意はその後、だから開いている店に入っただけ。外は多分光に包まれて眩しい朝を迎えているのにここはどうだ、しんとした無機物の塊。命を失った生きているはずの無機物、この瞬間だ。そして急ぐことはない店員の仕業で電源が入った瞬間、ドカーンとか音楽とか音が騒々しく鳴り響き無が一瞬のうちに裏返り音と光の世界、花が咲き乱れる楽園になる。その爆発する瞬間、エネルギーが放出される様をよく感じていた。それこそがゲームセンター、音と光の中に入って行ける薄暗い薄汚れた宮殿。

最初期はゲーム喫茶、それも繁華街の一室にある狭い空間で、今思えば元はスナックを改造したような夜向けの店だった。そこに関係がある友達に連れられてゲームだけではない色々な経験をした。小学生が。店から何か能動的に接触して来るわけではない。子供だから勝手に見て感じて知り推測し飲み込んだ。いやモロいかがわしいんだけどね。そこで与作、シェリフ、スペースインベーダーをプレイした。そして郊外のドライブイン。住んでるところは街だったので電車とバスで事足りる。そういう店は離れていた。そこにわざわざ自転車で行ってギャラクシーウォーズやバルーンボンバー、ルナレスキューをプレイした。そうこうしているうちに近所にハンバーガー屋がオープンした。今のようなチェーン店ではない。そのテーブルの一つがコズミックエイリアンだった。そしてその頃から町の、近所の喫茶店にはちらほらテーブル筐体のゲーム機が置かれるようになり、たまにお金を持っているときには無理をして行ったりした。同様にアイスクリーム屋と映画館の共用スペースにもテーブル筐体が置かれていてヘッドオンをプレイしたりした。
その後デパートの屋上出口のスペースとかにアップライト筐体が置かれるようになりクレイジーバルーンやブルーシャーク、テーブルでサーカスをプレイした。他にも色々やっていた。そしてようやくゲームセンターの時代になる。

しかしよく憶えているものだ。ゲームセンターの時代になると様々なゲームをプレイできた。初期の頃のアタリの大型筐体、ルナランダーやミサイルコマンドとか、後にベクターグラフィックスのものはスターウォーズなどになり、ラスターグラフィックスではマーブルマッドネスやペーパーボーイ、ガントレットになってゆく。タイトーの大型筐体で忘れられないのはスーパースピードレースだ。ハイスコアは9999点だがその日の店には9999、9998、9997とスコアが並んでいた。スコア表示はLEDで味がありその中の9998はオレだった。シューティングやレースゲームを好んでしていたので他のものも印象深い。モナコGP、ターボ、そして少し先の話だがポールポジションに至る。

こうして思い出してみるとタイトーが強い。そしてユニバーサルもなかなかの時代だった。そしてセガやナムコや任天堂、アタリの他にも書いてはないけど日本物産や新日本企画、コナミも大好きだった。それは単なる遊びであり広い世界の入り口だった。冒頭の話はもう少し後のことかな。スクランブルではなくてグラディウスのある時代。バブルシステムの音も控えめにその中に鳴り響いていた。その途中で他の筐体に百円玉を入れていたんだけどね。


過去の話。中途半端な話。また続きが書きたいかもな話。

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