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肉体関係
萩尾望都先生の「メッシュ」は不朽の名作だと思っているんだけど、メッシュがミロンに向かって
「自分と母親の肉体関係について考えたことある?母親の濡れた産道を通り抜けて生まれてくることについて」
とかなんとかたずねてミロンをギョッとさせるシーンがあった気がする。本が手元にないので正確なセリフではないのですが。
自分と母親の間の肉体関係について考えることって通常であればないはずで、産道を通り抜けることも通常肉体関係とは呼ばないはず。
精神的な距離があるゆえの一言でメッシュの実感、母親に対する異物感のこめられた言葉だと思うんだけど、最近この言葉をまた違った意味でよく思い出すのである。
というのも1歳になる娘とは本当に肉体関係と言っても過言ではないスキンシップの日々を送っているからである。
キス、ハグ、手を繋ぐ、口に指を入れる、食べものをシェアする、乳をさわられる、尻に顔を埋められる‥
まるで恋人のように情熱的に求められ、なにこれ激しすぎない?親子の一線超えてない?性的興奮を伴ってないからセーフ?とたびたび焦る。
今日も真っ暗な部屋の布団の中、小さな指がびっくりするほど強い力でしがみ付いてくるので、そのあたたかい体を受け止め、細く甘い香りの髪の毛に鼻を埋める瞬間は多幸感に満ちている。
犬の子のように乳に鼻を押しつけ、哺乳類にはよく見られる行動らしいが、乳の出をよくするようにモミモミとマッサージしてくれる。とっくに断乳したんだけど。
人は人生の最早期に母親と繰り広げた、愛情に満ちたふれあいを成熟してから繰り返すのかもしれないと思った。
たとえ忘れてしまっても最もプリミティブな愛情の示し方として体が覚えているのだろう。
残念ながらメッシュの母親は違うと思うが、世間の母親は子との肉体関係についてなにかしら身に覚えがあるに違いない。
濡れた産道を通過させた事よりも、もっとあと、寝かしつけとか、おはようの挨拶とか、そういった通常の日々のふれあいの中で。
#親子 #育児 #子育て #エッセイ #萩尾望都 #メッシュ
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