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横浜インターナショナルユースフォトプロジェクト卒業生たちのコラム。日本各地、海外で活動する多様な若者たちの思いち言葉に触れてください。Picture This Japan編集部
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#ルーツ

「沖縄へルーツを探る旅」 参加後記録

自分の先祖を襲った沖縄戦の歴史やさまざまな苦労、ルーツを辿った先に見えたものは、想像を超えるほどに向き合うのが大変で、本来の目的から少し逃げながら仕事に全振りした1ヶ月を送っていた。 横浜の鶴見からきた若者たちとの「第27回沖縄へルーツを探る旅」は、改めて自分が沖縄を訪れた理由を考え直すきっかけとなった。仕事詰めの日々から抜け出して、自分の感情に丁寧に、素直に向き合った1週間だったと感じている。  以下は、プログラム終了後すぐに記した「みんなの旅の感想レポート」の一部である

沖縄 ルーツ探しの旅②横浜鶴見からのルーツ探し

滞在開始から3ヶ月。沖縄を直撃した台風6号が過ぎ去った8月7日、台風後とは思えないほど雨が降り続く不安定な天気の中、鶴見から小中高生や先生たちが沖縄に到着した。彼らの旅は「第27回沖縄ルーツを探る旅。」沖縄から南米へ移民した先祖を持つ人たちが、つながりのある島を訪れる。私も沖縄に到着した彼らの活動に同行することになっていた。 沖縄と鶴見のつながりタクシーの運転手やふらっと入ったbarで話した人たちに、自分が沖縄出身ではなく、生まれ育ちが横浜であることを話すと「あ〜、横浜ね!

私の留学ライフ in Malaysia⑩日本生まれのハーフがマレーシアで住むということ

私のルーツは日本にあるが、母には日本の他に中国と台湾の血が流れている。父はガーナ。 そんな4つの国の血を持つ私が、自分のルーツに全く関わりのないマレーシアに留学している。複雑で面白いと自分でも思う。留学するまでは、他の日本からの留学生と変わらない気持ちでいたので、そんなことを考えることもなかった。 留学して2年強、今日まで何回他人に私のルーツの説明をしたことか。 「何人?」 「日本人。でもミックス。」 「どこのミックス?」 このやりとりをほぼ毎週している気がする。その

沖縄 ルーツ探しの旅①

6月27日 私のルーツを探るべく、琉球新報の松堂記者が西原町へ車を走らせてくれた。 手掛かりを元に情報収集へ 手掛かりは、曽祖父母の名前、西原の我謝に住んでいたこと、「イーミンター」という屋号があることのみ! ルーツを辿るべく西原町図書館を訪れた。 ☝️沖縄には、屋号というものがある。同じ名字を持つ人が地域に多くいるからだ。私の家系の屋号は「上前ン田(イーミンター)」ペルーに住む大叔母が教えてくれた。 記録から見えた語り継がれていないファミリーヒストリー 西原町戦没

作品「夢」からの始まり ③沖縄移住最初の2週間

普通の旅行だったら十分すぎる2週間。 ディープ沖縄なコザ(沖縄市の中心市街地にある文化圏の愛称) にあるスタートアップで働き始めて1週間がたった。 新しい場所での生活や仕事にすぐに慣れることができず、関東の友達と夜な夜な電話で話す日々が続いた。 沖縄での知り合いが5人くらいしかいない中で始まった移住は、正直「夢の沖縄移住」とは遠いもの。とにかく早く慣れて、「楽しい!」って思いたかった。 とりあえず沖縄での生活に「慣れた振り」だけしながら、街での様子を思わず写真に残して

作品「夢」からのはじまり①沖縄移住を考える

2019年10月の午後5時すぎ、西日が差し込んで窓のフェンスの影が壁一面に映し出された光景を写真に収めた。これは2019年度横浜インターナショナルユースフォトプロジェクトの展覧会に出展する作品となり、広報ポスターにも使われた。 右上にある絵は、ペルー在住アーティストの叔父作で、私たちの先祖が沖縄からペルーに「より良い生活を」という夢を胸に、海を渡って移住した時の様子を表現したものである。 「私の日常には、沖縄日系移民のルーツを感じさせる作品があるんです、そんな自分のルーツ

作品「夢」からの始まり②夢が現実に〜沖縄へ

5月10日17時半、東京の方が沖縄よりも高い気温を記録した日、今年一番の抱負である「沖縄短期移住」という目標を果たしに空港を飛び立った。 スマホのコンパスには、どんどん変化してゆく緯度・経度が表示され、高度が増せば増すほど私の気持ちも高まってゆく感覚に浸っている。自分が座った席からは機内からの夕焼けが見られず、ちょっと失敗したとも思った。 この沖縄短期移住では、様々な挑戦と素晴らしい経験が待っている。沖縄での仕事、地域の人々との交流、自分の親戚に会い、ルーツを探ること。