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君の背中に花束を

6月、その日は雨だった

老爺は病院にいた。大好きな人と。
「母さん、今日は雨じゃな。雨の日はなんだか気持ちが晴れないのお」
「そうですか?私は雨って好きですよ。ほら、耳を澄ましてみてください。ポツポツポツって不規則な音が、なんだか心地よいじゃないですか」
「そうか?どれどれ」
老爺は目を閉じて耳に手をやり、静かに集中して聞いてみた

「本当だ。なんだか、気持ちがいいなあ」
「ふふ、そうでしょ?」
「ありがとう、母さん」
「ん?なにがです?」
「いや、母さんのおかげで、雨が少し好きになれたよ」
「ありがとうございます。お父さん」
「ん?なにがじゃ?」
「私が好きなものを、好きになってくれて」

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1年前

「お父さん、先に行きますよー」
「お、おお、母さんや待ってくれえ」

5月16日、晴れ
その日は誰もが外に出たくなるような、程よく雲があって、青空が広がる気持ちの良い日だった

その老夫婦もまた、心地よい天気に心を踊らせ外に繰り出していた
「気持ちがいいなあ、母さん」
「ええ、私この道本当に好きです」

2人が歩くその場所は、多くの人々が散歩やランニングのコースに使う河川敷。人々と自然と小鳥たちと川のせせらぎがちょうどよく混ざり合う場所だった

「まるで、今日散歩してくださいと言われているようですね、お父さん」
「そうじゃなあ。でも」
「でも?どうしたんです?」
「ちょっと腹が減ったなあ」
「やだお父さんったら」
そう言って老婆は笑った
「でも、そろそろお家に戻ってお食事にしましょうか」
「そうしよう。わしゃ、蕎麦が食べたい」
何故かそう言って威張る老爺に、また老婆は笑った
「はい。わかりました。お蕎麦ですね。甘く煮たお揚げも作りましょうね」
「おお!母さん、わかっとるなあ」

老夫婦は帰路の途中、花屋の前を通った

「あ、お父さん。ちょっと待ってくださいな」
「ん?」
「お花を買って帰りたくて」
「おん?昨日プレゼントしたじゃないか」
「だからですよ。お父さんがくれたお花の隣に、私からお父さんへプレゼントしたお花を起きたいんです」
そう言うと老爺は少し照れたように言った
「そ、そうか。わかった」

老婆は花屋で花を買うとそれをそのまま老爺へと手渡した
「はい。お父さん。どうぞ」
「おお。ありがとう」
右手に花を、左手に老婆の右手を握って、満面の笑みを浮かべていた

おじいちゃんおばあちゃん

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「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!やっぱり母さんの蕎麦は日本一だあ。いやあ美味しかった」
「ふふ、ありがとうございます」
食器を片付ける老婆を横目に老爺は奥から紙袋を取り出した
「母さんや、これなーんだ」
「あら!満ち屋のカステラじゃないですか!いつの間に?」
「母さんがこれ好きって言っておったから、買っておいたんじゃよ」
「あら嬉しい!早速食べましょう!」
「これこれ、ワシはお腹いっぱいじゃ。あとでおやつに食べよう」
「そうですね!あー早くおやつ時にならないかしら!」
「はっはっは。本当に好きなんじゃなあ母さんは」

いつまでもこんな幸せな日々が続くと、老夫婦は思っていたけれど
ある日突然、老婆が体調を崩した
最初はただの風邪かと思ったけれど、なかなか良くならなくて、そのまま病院に通うようになってしまった

でも、老爺はいつもと変わらず笑顔で老婆の元にいた

「母さんや!今日も1輪持ってきたぞ」

老爺は老婆が体調を崩してから、1日1輪花を買ってくるようになった
買ってきた花はみるみる溜まって、花束になった。しおれたものがあれば、新しい花を買ってきて、花束に加えた。なんだか少しはちゃめちゃだけど、それは立派な花束になった。

「あら、今日も綺麗ですね。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。明日も買いに行こう!きれいな花束になってきた。この花束は母さんが生きてる限り、ずっと花束だ!」

ふたりは、毎日「ありがとう」を今までよりも何度も何度も言うようになった

「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」を
お互い少しでも笑顔になれるように
いつか来るお別れの日に、笑えるように

そして、ある日
いつものように小鳥がさえずり朝を知らせた、その日
2人の花束に、花は増えなかった

老爺はたくさん泣いた
まるで子供のように、わんわん泣いた

しばらくすると老爺は涙を拭いた
大きく息を吸って、あの花束を手に取って老爺は言った

「母さんや。ありがとうな。母さんはいつもせっかちだから、ワシより先に逝ってしまうし、少しおっちょこちょいなところもあるから、忘れ物も良くしたよな。
 
だからさ。だから、ワシが母さんの忘れ物を、、、やりのこしたことをぜんぶやってあげるからな。だから、もうちょっとだけ待ってておくれ

この年になると、別れなんてものはたくさんしてきたけれど、母さんと分かれるのは、やっぱり辛いなあ

でも、死なんてもんは生きてる人の為にあるものだから
ワシは母さんとの別れをめいいっぱい悲しんで、もうちょびっとだけ一生懸命生きてくぞ
それを教えてくれて、ありがとう。最後の最後まで、母さんに与えられっぱなしじゃな。

この花束は追悼の花束なんかじゃないぞ。母さんが生きた証じゃ。そしてこれは、

これは、いつも少し先を行ってしまう君へ、その背中を守りたいと思わせてくれた君へ送る花束。僕ががそっちに行くときは、君の大好きなカステラ、持っていくからその時は、また一緒に食べよう

ありがとう」

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