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密やかな行為

 ひそやかと表せば響きが良いのである。妙味は「やか」にある。健やか、晴れやか、しめやか、嫋やか、雅やか、静やか、と。なんかええ感じなのである。で、このタイトルだが、ここで言いたいことは何もええ感じのもんではなく、真逆のあさましき行為のことである。

 職場が変わり、行きも帰りもめでたく満員電車となった。たいへんに気をつけて交差させた手で自らの肩を掴んだままなんとかバランスを保って運ばれている。そうして電車が到着し、ドアが開くと、やがて後方からの流圧を背に感じる。それはまだよい。うん、まだよしとしよう。堪らないのはすぐ後ろにいるホモサピエンスが意図して私を押してくることである。あの神経が理解できない。私の神経が日々気を揉み過ぎてすり減りなくなってしまったのだろうか。ぐいぐいと肩や肘で押して何が変わるというのだろうか。押す人間は完全に個人の殻に閉じて押している。つまり、あの行為は誰にも見られていない状態で人間がやる悪意なのである。そこにその人の黒々としたコールタールのドロさが見える。イラチなのだろう。自分さえよかったらいいのだろう。これは偏見だが、そのような人は自分の番で無くなったトイレットペーパーは変えないし、信号無視はするし、果ては不貞まではたらくのではと思ってしまう。気に入った人だけを気に入り、利害ある人には調子づき、そうでないと見るや冷淡になりそうな。偏見であろうが、そうであっても不思議には思わないぐらいの印象がある、ということだ。

 もっと気長に優しくなろうぜベイベーと思うのだが、世の中には冬場のアルミニウムのように冷たい人がいるもの。そんなにすさんで可哀想に、ヨシヨシ、これをお食べ、といって芋けんぴでもあげたくなる。まあ横目に一瞥されるのだろうが、その姿にまたかわいそうになる。かわいそうだから許してあげる。

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