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横領 / エッセイ

 私は痛いことが嫌いである。
 嫌いというよりも弱い。弱いというよりも怖いのである。子供の頃は怖いという感覚が乏しかった。振り返ってみると、小学生の頃は随分と危なっかしい遊び方をしていた。近所のアパートには剥き出しの階段があったのだが普通には登らず、外側から手摺にしがみついて、子柱の間に足をねじ込んで一段ずつ上がってみたり、外壁を上下に走る用途不明のパイプを二階の高さまで攀じ上ったりした。マンションの入り口に出張ったコンクリートの庇があって、二階の廊下から笠木を超えて、その上へ降り立ったりもした。何が楽しくてそんなことをしたのか、しかしその頃はどういうわけか、そこが特別な場所のように感じたのである。やがて飽きがきて、さて戻ろうとするのだが、柵に手をかけ足かけして、来た方を戻るのではおもしろくない。庇の縁から飛び降りて、うまく着地出来るかを試すのだった。こんなことをして遊んでいたのである。今思い返すと、そのようなことばかりしてよく生きていたなとゾッとする。当然何かと怪我はしたが、幸いにして大怪我はなかった。けれども、性懲りもなくその後も同じようなことをして遊んでいたのだから、多少の生傷を作る程度では怖がらなかったのだろう。少年時代の私が逞しいのか、ただの想像力の無い阿呆なのか。ほとんど後者である。
 
 しかし、そんな少年にも痛くて怖くて堪らないものが一つあった。それが歯医者である。ところで、話は少し逸れるのだが、『歯医者』と言う時、私はいつも考えてしまう。「歯医者へ行く」、この『歯医者』は『病院』を表しているということである。『歯医者』というその職業人を表す言葉が、転じて歯科医院を意味することは勿論分かっているが、どうもいつも違和感を覚える。『歯医者』と同じように『眼医者』と言い、これの亜種は『耳鼻科』である。『内科』や『外科』は、唐突に「内科へ行く」と使われるのは稀で、病院へ行く話の流れで、「内科へ行く」と出てくるもの。しかし『耳鼻科』は、はじめから「耳鼻科へ行ってくる」と特別枠なのである。『科』で名指しされるものがもう一つあった。それが『整形外科』。『耳鼻科』『整形外科』と、その専門性から『科』で呼称され、それが日常会話の中で『病院』という意味での市民権を得たのでは、と私は考えた。だが、それなら『歯医者』も『眼医者』もそうであるはず。しかしそうではない。
 と、そんなことはどうでも良い。とにかく私は歯医者に行くことが嫌で嫌で堪らなかった。独特な匂いのする院内。リクライニング式の椅子に寝かされ、アームの先端にある烈しい照明で顔面を照らされる。これだけでもう怖い。何をされるか分かったものではないではないか。こんな状態にあれば、拘束衣を着せられたとしても物の数ではない。この状況に私はいつも、スタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』の一場面を想起する(映画は目で、こちらは歯であるが)。
 何が怖いといって、やはりあのドリル――あれは石とか材木に使う道具だろう――である。それを人体に、それも口内で使おうというのだから危険に決まっている。それが証拠に痛いのだ。キュイィーンと高速で回転するドリルが歯を削り、水分と削られた歯の粒子を舌に感じる。かと思うと突として、歯に烈しい痛みが走る。私はこの痛みをひらがな一文字で表してみたいと思うが、その文字は「ひ」であろう。カタカナで表す場合は、これが「ヒ」ではなく、「キ」に近いところが面白い。想像力の乏しかった少年も、この分かりやすい痛みは恐怖とガッチリ結びついたようで、大の歯医者嫌いに相成ったのである。それは今でも続いている。
 
 歯医者にはこんな思い出もある。
 学校で歯科検診があった。いよいよ私の順番がくると椅子に座らされ、上向き加減に口を開けさせられた。金属の棒の先に鏡が付いていて、それを私の口の中に突っ込んで片っ端から隈なく見ていくのだった。検査されている当の私は蚊帳の外。先生は助手の女性にぶつぶつと何かを言い、女性はそれを書き留めていた。その時に覚えたのが、シーワンとかシーツーという言葉である。
 そして後日、私は『歯医者』へと連れて行かれた。
 あの独特の匂いがする病院らしい清潔感と、流れているせせらぎのような音楽も子供心には怖かった。悪にやられるよりも、正義にやられる方が、逃げ場がない気がするのだった。
 いよいよ治療が始まるのだが、その直前に私は先生にこう言われた。
「痛かったら手をあげてね」
 これが私の心の拠り所となった。すんでのところで渡されたお守り。激痛に襲われるといった異常事態には即座に停止を求めることが出来る唯一の切り札である。私は死中に活の心境だった。歯にドリルが当てられると早速痛かった。私は右手をあげようとしたが、なんと助手が押さえていた。左手も同じく封じられている。見ると、先程いた助手ではない別の助手だった。私の眉は苦悶に歪み、目をぎゅっと瞑ると涙がこめかみを伝った。私はこの時、世の不条理をも知ったのである。
 
 幼馴染にK氏というのがいる。鍍金屋の一人息子で、家は邸のように広い。庭の溜め池の真ん中には苔だらけの浮島があって、そこに灯籠が立っていた。池中には大ぶりの錦鯉の泳ぐのが朧に見えた。昭和三色、紅白、赤無地、山吹黄金というらしいが、そんなのが餌を撒くとうじゃうじゃのたくった。
 学生の常らしく、私やN氏や他の友達数人は暇さえあればK氏の部屋に溜まった。用意するともなく皆がつまらない話を持ち寄って、ぺちゃくちゃとよく喋った。私は幼時の頃の歯医者での体験を話した。箸が転んでもおかしい年頃、というのは本当だと思う。私達は腹がちぎれるほど笑った。
 K氏は面白い人物だった。高校時代にK氏と友人N氏と私とで、K氏の会社の得意先へアルバイトの面接に行った。結果は、K氏だけが落とされた。K氏は家業の手伝いのために時間の条件が合わなかったのである。N氏と私はK氏には悪いなと思いながらも、ゲラゲラ笑った。
 アルバイト先には我々とは別で働きに来ている兄妹がいた。兄は私らと同い年で、忽ち意気投合した。妹(A子とする)のほうはというと、これがとても美人で、N氏はA子について即刻私に「かわいい、かわいい」と先手を打つのだった。私のほうはというとあまり色気の無い気性だったので、「そうか、そうか」と生返事をして聞いていた。
 
 いつものようにK氏の家に皆が集まると、N氏はそこでも「かわいい、かわいい」としきりに啼く。しかたがないので、別なほうへと話題を変えようとするのだが、N氏はなにかにつけ話をA子に還元した。すると、何が起こったかというと、K氏がA子に惚れてしまったのである。一目も会ったことのないA子にK氏は恋をしたのだった。これは岡惚れとも言えず、的確な言葉があれば教えてほしい。
 極めつけは、ある時、K氏が別な友達に言い放った「A子ちゃん、めっちゃ美人やねん」という言葉に凝縮されている。もう一度言うが、K氏はA子に会ったことがない。
 刷り込みによって人がどうなるかということを、K氏は我々に教えてくれた。K氏はN氏の言葉を繰り返し聞き続け、そのうち自分も幻想のなかでA子を好きになってしまったのだ。そしてそれがエスカレートし、いよいよK氏はA子を知った気になってしまったのである。当然ながら、周りに総ツッコミを入れられることになったが、当の本人はポカンとしていた。
 
 K氏は歯を矯正しているので、ニッと笑うと四角い金具と針金が見える。小ぶりの歯をしていたためか銀色が目立っていた。K氏の家に上がり込んでダラダラしていると、K氏が「この前歯医者に行ってきてんけど」と話しはじめた。矯正の話かと思って聞いていると、虫歯の治療だった。「ほんでな」とK氏は続け、「痛かったら手あげてって言われたのに、あげよ思たら押さえられてんねん、どない思う?」と言うのである。
 私は愕然とした。どない思うもこない思うもない。今私の身に起きていることは明らかであるにも関わらず、私は何から手をつけてよいのか分からなかった。よりによって横領した話をネタ元の本人に話してしまうとは、K氏らしいと言えばK氏らしい。この処理は私にとっても難儀なので、「そうなんや」とだけ言ってやり過ごした。

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