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偲ぶ~子どもの死の準備教育~

ちょっと重いテーマですが、もし聞いていただけるなら少しお付き合い下さい。私は幼い頃父が病死し、それ以降人はどうやって死ぬのか?と興味を持ち、悩んだり怖くなったりしながら、結局大学院で「死」を研究する道を歩みました。自分が子どもを持ったら、生の延長には死があることを発達に合わせて教えていきたいな~と思っていました。

近年、人の多くは病院で亡くなることが多くなり、人の死を自然と生活の中で見る機会は減っています。死は100%誰にでも訪れる事象なのに、避けたり封印したり死はものすごくネガティブなイメージがついてしまっていることが、丁寧に生きることを阻害しているのではないかと、個人的には思っています。

私は10年前に妊娠中期で思いがけない流産を経験しました。もうすでに人としての形になっていた我が子を死産という形で分娩し、このような悲しいことが人生であるんだという心も体も裂けそうな悲しみを体験し、ただ泣くことしかできない日々を過ごしながら、悲しみに蓋をして次の妊活に自分を奮い立たせて、長男の出産に至りました。

最初につづった思いがあるので、お墓参りには息子はいつも連れていき、自然とお姉ちゃんがいたのだということを教えていきました。心理学的な発達論的には、3歳ぐらいから少しずつ人は死ぬということを認識できるようになります。しかしアニメなどで復活するようにまた生き返ると思っていることが多いです。人には必ず死が訪れ、一度死ぬと生き返ることはないと理解できるのは12歳ぐらいからと言われています。6歳ぐらいからは一気に死に興味を持つ時期があります。ムスコも度々どうやってお姉ちゃんは死んだのか興味を持って聞いてきます。

私にとっては娘が亡くなったことは今でも思い出すと胸が苦しくなるのですが、ムスコがあまりにも興味を持つので、できる限り話すようにしています。今週お彼岸に入り、今日ムスコにお墓参りに行ってくるよ~と朝話しました。

ムスコは、「お姉ちゃんに愛してるよ。いつも見守っててね、一度でいいから会いたいな」と伝えてね。と言われました。あまりに純粋で、心がこもっている偲ぶ言葉に、母は涙が止まらなくなりました。ムスコの中では自然とお姉ちゃんがいて僕がいるということが刻み込まれているのです。ああ、隠さないでちゃんとお姉ちゃんの話をしてきてよかったなあと思いました。

ムスコの中にはお姉ちゃんがいて、二人分生きているつもりなのでしょう。子どもは何でも知りたがります。死については、親が教えられる範囲で、動物や植物などを使いながらでも生も死もあることを伝えていくことは、大事なことなのだと思った朝でした。

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