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VS 本

最近本が読めなくなった。


読めるのは読めるけど、

話を理解するのが下手になった。

文字を読んでいるのは読んでいるけど、

気づけば自分の頭の中で違うことを考えてしまう。

それに気づいたらまた理解してるところから読み直す。

また脳内が逸脱しているので、また読み直す。

読書とはいつからこんな面倒臭いものになってしまったのか。

実は小さい頃の僕は本ばかり読んでいた。

図書館に毎日のように行っては本を借りて、

翌日には読んで返却して、

また新しい本を借りては読んだ。

そんなに難しい本は読めなかったが、

子供向けの本や薄い小説は片っ端から読んだ。

その名残か今でも漢字には強い方ではある。

あの時の活字への情熱を取り戻したい。

そう思って本を読み始めるも、

なかなか読み進めることができない。

スマホの普及で集中力が途切れやすくなって、

ドーパミンが読書では分泌しにくくなったからか。

気づけばスマホに手が伸びている。

妖怪や香水のせいにして、次はスマホのせいだ。


僕はよくひとつのものに集中出来るように、

パソコンやモニターだけ照らして、

周りのものは真っ暗にする。

映画館のような手法だ。

特に楽曲を作る時はそのようにして、

出来るだけそれ以外のものをシャットアウトする。

でも本はそれが出来ない。

スマホやタブレットで読むならまだしも、

紙の本が好きな僕はその方法では字すら読めない。

堂々巡りだ。

しかし僕はあることを思いつく。

果たして、そこまでして本を読むべきなのだろうか。

悟りを開く人はこんな気持ちで悟りを開いたんだろうなだろうなと今思った。

本は人の考えを豊かにしてくれる。

それに関しては言うことがないくらい同意したい。

しかし他人には豊かにしてくれる本でも、

自分にとっては良い情報として認識されない本だって無数にある。

それを探すのが楽しいのもわかるが、

僕はそれなら同じ時間で違うことをしたい。

それに本で学ぶことは勿論たくさんあったけど、

それ以上に人に学ぶことがたくさんあった。

人生の先輩たち、もしくは後輩たちの考えに触れて学ぶことの方がよっぽど多かった気がする。

そんな考えに行き着いたので、本を読まない。

というのは嘘で、

気になった本があればその都度読むことにする。

それと本を読もうと意気込んでしまうと、

折角の読書も楽しく出来ない。

努力する奴は夢中な奴には勝てないのだから。

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