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ずっと好きでいたいのに。

昔から、自称「熱しにくく冷めやすい」としていたけれど、言い換えれば、「ひとつのことを継続し続けることがめっぽう苦手」ということだった。


小学生の頃の習い事がいい例だと思う。

確か三年生の頃、ひと月ほどピアノを習っていた。当時は団地住まいで、同じ団地内の一番奥の棟に住んでいた人が自宅で開いている教室だった。

ひと通りピアノの基礎を練習したあとに先生の弾くピアノを聞きながら絵を描く、という時間があり、わたしはその時間が苦手だった。ピアノは難しいし、この絵にどういう意味があるのかもよく分からない。

わたしのピアノ教室の思い出は絵を描いたことと、教室帰りにもらったミルキーで銀歯が抜けたことくらいで、先生の引越しが決まったことをきっかけにあっさりと辞めた。


ピアノ以外には剣道をした。両親は学生時代に剣道をしていて子どもにやらせたかったようで、弟と二人、週に二回の教室へ通うことになった。

剣道もなかなか続かなかった。竹刀で叩かれると痛いし先生はこわいし、二つ下の弟の方がよっぽど上手だった。何より、毎週楽しみにしていた水曜夕方・日曜朝のアニメが見られないことが嫌で、弟がよく"お腹が痛いから休む"と仮病を使っていたことを思い出す。

それでも、弟は階級テストをどんどん合格し、わたしはなかなか上がらなかったのでつまらなかった。負けず嫌いでいつも悔しくて泣いていたけれど、技術は向上しない。三年生頃から始めて、二年と経たずに辞めたと思う。


「ひとつのことを継続し続けることが苦手」もそうだけど、「自分が出来ないこと」に嫌悪感を覚えるタイプで、出来るようになるまでやるとかそういうのが出来ないのだ。未だに。


中学に上がると同時に引越しをしたわたしは、ガヤガヤとした一年一組の教室内の自分の席に、正座で座っていた。

大体の子たちが周りの小学校から進学して来ているので、わたしのことを知っている子も、わたしが知っている子も当たり前に一人もいない。

明らかにおかしな様子のわたしに声を掛けてくれた数名の子と少しだけ仲良くなって安心したのもつかの間、次の日からわたしはおたふく風邪を引き、いきなり一週間ほど休んでしまった。


わたしが改めて学校へ通い出す頃には、我々新一年生を歓迎する部活のオリエンテーションや慣れるための短縮授業などはとうに終了し、何の情報もないまま、母親がソフトテニス部だったからという理由だけでソフトテニス部に入部届を提出した。

不思議なことに、不安や焦燥感を感じた記憶がまったくなく、何の障害もなく徐々にいろいろなことに適応して行った。今思えばそのメンタルには感心する。

ソフトテニス部で過ごした日々はわたしにとって生涯の宝だ。コート内を前後左右と駆け回り、とにかく一生懸命だった。その頃はいかにテニスをする時間を確保するかが何よりも重要で、出来るとか出来ないではなく、楽しくて仕方なかったのだ。


しかしそのソフトテニスも高校へ進学して続けることはしなかった。高校には女子ソフトテニス部がなく、硬式に転向するつもりもなかった。誘われてなんとなく入部した軽音部で宛てがわれた曲だけ練習し、あとはアルバイトばかりしていた。

高校を卒業して進学した大学も一年で辞め、その後就職した花屋の三年が最長で、その後はパートをいくつか掛け持ちしたりしながら常に転々としている。


なにかを続けることがなかなかできないわたしは、自分自身を「何もない」と思うことがある。

誇れる栄光、譲れないプライド、護りたいひと。

がっかりもするし、わくわくもする。何もないわけないけれど何かがあるわけでもなく、長い付き合いのある友人に言われた「ラフに走り続けてる感じ」がすごくしっくりきていて、きっとこれからもずっとそういう感じなんだろうな、と思う。


長く続けている何かがあるということを、心から尊敬する。

それでも、少しずつでも関わってきたひとや環境がなければ今のわたしはいないので、転ばないように怪我をしないように、わたしのまま、身軽なままで生きていけたらいい。



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