私は自分についていく #大切にしている教え

 私が大切にしている教えのひとつは、社会人になって幾年も経たないときに、耳の端に入った言葉である。
「誰についていくか選べ」
言葉にするとややパワハラ感があるが、この言葉が私を思わぬ方向に動かしてくれた。

新卒で入社した会社


 新卒で入社したのは、古い体質と新しい考え方が対立している会社だった。
おそらく揃えてある機材は最新に近い。必要と声を上げれば、導入してくれることも多い。
しかしソフト面では必ずしも最新とは言えない。全体的な流れが古風だったり、今や大きな問題になることがまかり通っていたりする。
社員により考え方が異なり、大きく二つに分かれてしまっている、そんな会社だった。

ふと耳に入った言葉
 ある日、違う部署の上司が、うちの部署の若手に言っていた言葉が耳に入った。
「誰についていくか選べ」
若手は軽く叱られているみたいで、そんな中で聞こえた言葉なので、当然いい印象を抱かなかった。
しかし、この言葉はなぜか私の頭に残り、数日繰り返し考えることになった。

私は誰についていくんだ?
まず思ったのは、「そんなの、最終的に承認してくれる上司についていくしかない」
なぜなら、そうしなければ私の成果物は承認してもらえず、社外に出ることがなくなってしまうからだ。
しかし実際は困っていた。上司によって言っていることが違うからだ。
最終的には承認してくれる上司に合わせるのだが、それまでにチェックしてくれる他の上司は考え方が違い、これまたその考え方に合わせないと次のステップに進めない。

 正解を選ばなければいけないのに、正解がわからない。あるいは複数ある。これは私を苦しめた。対立する意見の持ち主同士で話し合ってほしかった。

誰かについていくこととは


 
ところで、誰かについていくということはどういうことなのか。
これは自分の中で、仮であれ目標、ある程度の正解を決め、そこに向かって進んでいくということである。
それを選ぶには、どんな選択肢があるのかを知らなければならない。
自然と、様々な人の意見を聞かなければならなくなる。
これは、誰かの考え方を身につけることに反しているだろうか。

つまり、人の意見を聞くこと、それがまずもってしなければならないことだ。
そして、それを自分の選択肢の一つとする。
自分の基準とするからには、よく考えなければならない。
その人が、どういう理由でそのように考えるのかを知らなければならない。
人に聞くことも大切ならば、自分で調べることも大切だ。
人と分かり合えないとき、議論が巻き起こる。しかしそれは必ずしも心地良いものではないだろう。
そこで、自分で調べる一人の時間をつくる。考える時間をつくる。
そうして、その選択肢を自分の中に取り込むかを決める。
よく咀嚼して取り込んだものは、自分の考え方の一部になる。
誰かについていくということは、自分をつくる作業なのだ。

そして、自分の考え方となったものを、再度人と検討する。
そのときには、以前より自信をもって意見を言うことができるだろう。
ついていく相手が、自分の頭の中にできあがる。
これが「理想」であり、「目標」である。

大切にしている教え


以上が私の体験談で、#大切にしている教え である。
あなたは、誰についていきますか。


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