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聖女のlabyrinth | 第2話 | 逢瀬のあとで


第1話はこちら(↓)


聖女のlabyrinth | 第2話 | 逢瀬のあとで


「山下さん、今日のことは忘れてください。いい思い出ができました。これから先、私たちは再びお会いすることはないでしょう。私の秘密は今、お話した通りです」

「にわかには信じられませんが、そんなことがあるんですね。絶対に、百合子さんの秘密を口外することはありません。それは私の身にも深く関係することでもありますから」

 次の日の午後、私たちは一夜をともにしたラブホをあとにした。

 星野さんがこんな秘密を抱えていたなんて夢想だにしなかった。


 私は実家で新年を迎えた。母からは「なんか雰囲気が変わったね。彼女でもできたのかい?」と言われた。老婆と言っては母には悪いが、それでもやはり女の直感が働くのだろう。

「いや、彼女なんていやしないよ」と私は適当に誤魔化した。彼女と言っても、一夜限りのことだったから。無論、私にとって初めて抱いた女は百合子だったから、一生忘れることはないだろうが。


 あっという間に正月も過ぎ、私は学校へもどった。ほんの1週間かそこらアパートを空けたに過ぎないが、帰宅すると懐かしい気持ちになった。

 留守電を見た。不在の間に、数件電話があったらしい。ほとんどが無言だったが、一件だけ、宮本のメッセージが入っていた。おそらく、他の電話もすべて宮本がかけたものだろう。

「山下、帰ってきたら連絡をください。あの子のことで少し話したいことがある。じゃあ、また」

 百合子のことだろうか?宮本と百合子は、どこかで出会ったのだろうか?


 次の日、宮本と例の喫茶店で会うことになった。

「星野さんって子のこと覚えてる?」

案の定、宮本は百合子のことを話し出した。私はなるべく自然にこたえようとした。

「あぁ、あの優しそうな女の子でしょう?少ししか話したことはないんだけど、1度も怒ったことがなさそうだよね」

「実はね、この前のバイトの帰りに、駅へ向かっている途中で見かけたんだ」

 たまたま見かけただけか。私は少し安堵した。

「それで?星野さんに何か話しかけたの?」

少し興奮気味に、宮本は話をつづけた。

「いや、ちょっと恐くて話しかけられなかったんだ」

「どうして?」
私は、もったいぶった宮本の話に少し苛立ちながら尋ねた。

「星野さんね、酔っ払って駅前に寝ていたオジサンに近づいて行って、肩を叩きながら『大丈夫ですか?』って。見ず知らずの酔っ払いだったら、普通スルーするだろ?」

「まぁ、そうだね。変に声をかけて、トラブっても嫌だしな。でも、星野さんだったら、何となく分かるような気がする。もしかしたら、知り合いのオッサンだったのかもよ」

 内心では私も百合子の行動に疑念を持ちながらこたえた。

「いや、そうは見えなかった。親父さんでもなさそうだったし。ちょっとね、興味をもって、しばらくの間どうなるのか、見ていたんだ」

「それで、何か分かったのかい?」

「遠くから見ていただけだから、詳しいことは分からない。だけど、オジサンが目を覚まさないでグッタリしていたから、星野さん、救急車を呼んだんだ」

「ふうん。それで良かったんじゃない?目が覚めたって、酔っ払いじゃ歩けないだろうし」

「いや、違うんだ。救急車を呼ぶくらいのことは、俺でもするかもしれない。そこまでは理解できるんだけど、なんと星野さん、救急車に一緒に乗り込んで行ってしまったんだ」

「やっぱり知り合いだったんじゃないか?いくらお人好しだといったって、見ず知らずの酔っ払いのオッサンの救急車なんて乗って行かないだろう?」

 結局、その日の飲みは、百合子の話ばかりになった。
 無論、私は百合子との年末の顛末を、宮本に語ることはなかった。


 それから1ヶ月ほどの間、何事もなく過ぎた。普通に学校に行き、講義を聞き、たまにサークルに行くという平凡な日々が続いた。

 そんなある日、アパートに帰ると、留守電が点滅している。
 宮本か?、と思いながら再生してみると、百合子からだった。いちおう連絡先は伝えておいたが、本当にかかってくるとは予想していなかった。少し意味深なメッセージが入っていた。

「山下さん、失礼します。大切なお話があります。電話で話せるような話ではありません。どこかでお会いできませんか?また、夜遅く電話します」


 その日、私はずっと起きていた。深夜0:00きっかりに電話が鳴った。

「もしもし、山下ですが」

「こんばんは、百合子です。大切な話があります。もうお会いするつもりはなかったのですが、どうしても話さなければならなくなりました」

 その言葉を聞いて、私にはだいたい何が起こったのか分かった。だが、あえて何も言わなかった。

「わかりました。会いましょう。どこで会いましょうか?喫茶店にしましょうか?」

「いえ、喫茶店では。できれば、勾当台公園でお会いしたいのですが」

「わかりました。じゃあ、明日、勾当台公園で会いましょう」


 明くる日、少し震えるくらいの寒さの中、私は一人、川内から角五郎を抜けて勾当台公園へ向かった。息が白い。百合子は本当に来るだろうか?

 広瀬川にさしかかった頃、私は一度引き返そうとした。おそらく百合子は、私の…。しかし、もし私が今日、百合子と会わなかったら彼女は自殺するかもしれない。だから、必ず会いに行かなければならない。


 ようやく勾当台公園にたどり着いた。約束の時間の5分前だった。

 約束の時間になった。百合子の姿はまだ見えない。ひょっとしたら来ないのではないか?
 四分の安堵の気持ちと六分の恐怖の気持ちを抱えながら、私は百合子を待ちつづけた。

 約束の時間から30分が過ぎた頃、パープルのワンピに、白いポーチを持った百合子が現れた。おそらく宮本が言っていたデートの時と同じ服装であろうことを私は直感した。

「山下さん、遅くなりました。こんな寒い中、長い時間お待たせしてしまって」

「いえ、百合子さん。もしかしたら、あなたはいらっしゃらないのではないかと心配していました。お越しくださりありがとうございます」

百合子が寂しげに微笑んだ。

「百合子さん、その格好では寒くありませんか?」

「寒いです。でも、私、このまま死んでしまってもいいという気持ちもあります」
伏し目がちに呟くように言った。


「宮本さん、だいたい察しはついていると思いますが、私、あの日以来、生理が来ないんです」
小さな声ながらも、決然と百合子は言った。

「… …そうですか。そういう話だと思っていました。責任はとるつもりです。産んでいただけますか?」

「それはあなたの本心でしょうか?現実問題として、学生であるあなたと私の力で、育てていけるでしょうか?」

私は逡巡しながらこたえた。
「育てていくしかないでしょう」


「私はあなたの気持ちを聞いているわけではないんです。現実的に産むという選択が可能かどうか…」

ほとんど私の顔を見ずに百合子は言った。

「学生結婚は決して珍しいことではありません。けれども、私の両親はすでに亡くなっています。あなたのご両親はお元気でしょうが、ご迷惑をかけるわけにはいきません。だから、私は…」

「おろしたい、ということですか?」

「そうするよりほかに、現実的な選択肢があるでしょうか。私はそれを伝えに今日ここにやって来ました」


 それから1ヶ月後、百合子は手術することになった。
 一緒に病院まで行き、手術が終わるまで立ちあっていようとした。

「山下さん、お気持ちは嬉しいのですが、男性パートナーは立ち合うことはできません。病院の先生からも、この決断をした以上、きつく言われています。無事手術が済んだら、必ず連絡します。だから、今日はお引き取りください」

そう言い残して、百合子は病院の中へ入って行った。私はただ待っているしかなかった。


(聖女のlabyrinth | 第2話 | 逢瀬のあとで)
つづく…


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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします