古墳探訪の意義(「ラブホ」が多いのはなぜ?)
古墳に興味をもったのは、数年前でした。
歴史というと学生時代の「暗記科目」という印象が強い。
しかし、古代史はわからないことが多いぶん、想像力(あるいは妄想力)が入る余地が十分ある。
学術的に確立されたことは、勿論、尊重するが、それでも妄想力がかきたてられる。
古墳を何10基と探訪するうちに気づいたことだが、「古墳」そのものは、ただの丘にすぎない。(「もっと早く気づけよ」と我ながら思う)
いな、実際行ってみたら、湮滅していることもある。
すでに宅地になっていたりする。
では、行ってみても意味がないか、というとそんなこともない。
古墳そのものがなくなっていても、近くを流れている川の位置関係を、体感で知ることができる。
また、平地に作られたものなのか、それとも、微高地をうまく利用して作られたものなのか。
そんなことも地形図を調べれば分かる。やっぱり、無駄か?
しかし、古墳がなかったら、絶対行くことがないであろう土地を訪れるのは悪くない。
今も昔も、住みやすい土地は、あまり変わっていないようだ。
古墳がある場所に行くと、たいてい田んぼが広がっている。川が近くにあり、稲作に適しているのだろう。
いまだに謎だが、古墳が点在する場所の近くには、何故か「ラブホ」が多い。
なぜだろう。
いろんな意味で、妄想力が膨らんでしまう。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします