私のプロフィール第2部をです。


英日欧企業マッチングのさきです。今日は、
私のプロフィール第2部をご紹介します。
          

3.中学校
実は中学も家から10分くらいの
新潟市立寄居中学校に行きました。
ここまでは義務教育ですからね…。

中学校の校区というのは、
違う小学校が3~4校合わさって
構成されていて、

今までは、新潟の山の手の
住宅街の子供たちが多かった
のですが、そこには新潟の

市街地の子供達も通ってきていて、
中にはいろんなワルガキがいて、
かなり面白かったです。。

父親がやくざで刑務所を出たり
入ったりしている、
いじめっ子の男の子や、

ストリップ劇場の経営者の息子とか、
蕎麦屋や団子や、本屋、
居酒屋や料亭の娘や息子たち。

中でも私が大の仲良しになった
のが、金物屋の娘の
SMちゃんです。

彼女はなぜか女子の群れの
中心にいつもなっていて、決して
目だつとか、リーダー格とかでは
ないのだけれど、


やたら、ひとあたりが良くて
面白い子だったので、いつも
多くの女子に取り囲まれていました。

この興味深いそんざいだった
彼女とは、たしか中学2年の時に
同じクラスになって、妙に波長があい

かなりつるんで、新潟の街路で
遊びまわっていた思い出があります。

ティーンエージャーの女の子が
楽しかったことは、

日曜日の昼とかに、喫茶店で
待ち合わせて、午後一杯
そこでクリームパフェかなんかを


たべながら、大声で
おしゃべりをして大笑いをする。。。

こんなことが、当時の私の
最大の楽しみだったような
感じがします。

そうそう小学校の6年生の時に
自分に誓ったように、中学一年になった
私は、それまでとはうってかわって、

外交的な女の子に大変身しました。 
「オンナの鏡 (今から思えばなんて
女性を卑下しているSEXISTな
表現なのだろう…

とちょっと身震いするけれど)
その鏡だった“Sakiko”が、
豹変した???」なんて、


訳の分からんことを言う友人が
多かったですわね…うんうん。 


しかしこれも私が計画した通りの
成り行きだったのですね。まったく 
本人はこのコメントをききながら、

表では「うう…ん、そうかな…」
なんてごまかしていたけど、内心では、
「しめたしめた 大成功・・・」と
ほくそえんでいたのでした。 

そうそう、中学3年のときに、
それまで住んでいた市街地に近い家


(父親の仕事先からあてがわれた
従業員用の借家だったのですね)

から、車で20分くらい離れた
浜辺の新興住宅地の持ち家に
引っ越しました。 

でも中学はそのまま寄居中学に
通い続け、私の覚えている感覚では、

それまで新潟の中心街に居た
私から見たら、その新しい家の
界隈の子供達っていうのは、

なんとも、“いなかもの”って
いう感じがして、付き合いたいとかとは
思わなかったですね。

はなからバカにしていた感じです。 
とにかく取り合えず、

街なかにあった寄居中学には
卒業までバスで通い続けました。

中学校の時の忘れられない思い出の
ひとつに、初めての英語の授業
というのがあります。先生はミス土屋。 

生まれて始めて英語の授業というのを
受けました 。

この先生、ミス土屋は、ドアを
開けるなり「Good Morning everybody!」
と言いながら入って来て、クラスの子供達が

あんぐりと口を開けているのを、
まったく無視して、授業の初めから
終わりまで日本語を一言も話しませんでした。

不思議なことは、何とか彼女の
いうことが分かった事だけど、

それは、たぶん 転勤族の子で
東京から引っ越してきた、Kミドリ
という女子生徒が、少し英語が話せた

せいだったんだろうな…と
ぼんやりと思い出せます。

ミス土屋は、“顔はガマガエルの
ようで(失礼ながら)、
幅広の大きな唇につけた

真っピンクの口紅と、黒く染めた
(おそらく…) ボブヘアの髪型”が

今でもはっきりと記憶に残っています。 
それでも、クラス中が
“Repeat after me” の号令に合わせて、

彼女の読む英語のフレーズを
繰り返していたのは、不思議でした。

授業の後は、廊下で他のクラスの
子供たちと情報交換。ミス土屋が
嫌いな子供や馬鹿にする子供、

怖がる子供が多かったと思うけど、
私が思ったのは、何と面白い授業、
面白い先生、面白い科目だろう…!

瞬間にこの新しい科目に
興味を惹かれたものでした。 

中学生の頃は、スポーツは、
たいして何ができるという
こともなく、ただ何かクラブに
所属しなければならなかったので、

バレーボールクラブ というのに
入りました。好きでもなかったので、
練習もそこそこにしていたけれど、

他の学校との対抗試合というのに、
出なければならなかったのが、
大変苦痛だったのを覚えています。

もちろん 他校との試合では
いつも負けていました。

こんな感じでスポーツはいまいち
でしたけれど、勉強の成績は、
相変わらず良かったから、

高校は、新潟で一番優秀な高校、
新潟県立新潟高校へ受験して
見事 合格したのでした・・・ 


今日はここまで。
パリ在住 英欧日ビジネスマッチング の
さきちゃんが語る

自己プロフィール第2部でした。
続きは、またあしたね
A demain !  See you tomorrow !


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