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リモンチェッロと魔法使い

(本文9,988文字)

 私の調律師としてのキャリアは、ナポリから始まった。その為、今思うと本当に恵まれた話なのだが、在伊中は仕事だけでも年に三〜四回はカプリ島に出向いていた。
 カプリ島は、地中海の楽園とも称される小さな島だ。世界中のセレブの別荘が沢山あり、かの有名な「青の洞窟」もあり、真っ青なティレニア海に浮かぶ真っ白な断崖絶壁の景観も、温暖な気候と長閑な雰囲気も、イタリアとは思えないぐらいの治安の良さも、全てを含めて風光明媚な超高級リゾート地そのもので、まさに「楽園」だった。
 同時に、私のキャリアに大きな影響を与えてくれた思い出の島だ。

 でも、この島での仕事は、当時の私には苦痛でしかなかった。
 そもそも、カプリ島へのアクセスは当然ながら船しかない。でも、私は船が苦手なのだ。なのに、カプリ島にある某超高級ホテルにはピアノが四台もあり、その全てを私が勤めていた会社が管理していた為、年に数回、船に乗ってカプリ島へ出向かないといけなかったのだ。



 仕事で初めてカプリ島へ行ったのは、九月の末頃だった。
 その時期のカプリ島は、既にバカンス期間は明け、少し落ち着きを取り戻してはいた。それでも、まだまだ観光地らしい賑わいを見せていたのだが、バカンス期の混雑は解消されていた。
 その日は、前述のホテルで二台の調律を行う予定だった。一台目は、ホテルのロビーからも外の通りからも入れるBAR(バール)にあった。ドイツ製の高級機種で、納品してまだ数年しか経っていないピアノだ。幸い、コンディションも良く、扱い易いピアノでもあり、作業はスムーズに終えた。
 そして、ホテルの従業員に次のピアノへ案内された。二台目は、地下にある大きなレストランに無造作に佇んでいた。どうやら、日本製のピアノだ。大きなトラブルは起きにくいメーカーなので、とっとと終わらせて島から脱出しようと目論んだのだが……幸か不幸か、その従業員に捕まってしまった。

「君、日本人かい?」と、唐突に話し掛けられたのだ。あ、ナンパだな……と、流石に数ヶ月イタリアにいると、何度となく経験してしまうシチュエーションにうんざりした。この国の国民の約半分は、女好きの男性なのだ。残りの約半分は女性だ。
 私は、「そうですが、貴方はイタリア人ですか?」と、すまし顔で聞き返した。それがどうした? というニュアンスにもなるし、ジョークにもなるし、適当にあしらっているようにも取れるという、相手の出方次第で対応を変えられる私オリジナルのカメレオン返答なのだ。
 しかし、このお兄さんの反応は想定外で、私のカメレオン返答は通用しなかった。

「僕はアルジェリア人です。イタリア国籍は持っていないので、来月には出国しないといけません。いつか、日本にも行きたいです」
 よく聞くと、彼のイタリア語は私より少しマシな程度で、かなり辿々しかった。それでも、英語を交えながらの会話で分かったことは、彼はどうやら一人で世界中を旅行しているらしいこと。現地の人に頼み込み、ホテルやレストランで「モグリ」で働かせてもらい、お小遣いをもらいながら転々としているらしい。
 このホテルには、もう一ヶ月も滞在しているそうだ。従業員用の小部屋にこっそりと住まわせてもらいながら、雑用をこなす毎日。それでも、彼は人懐っこくて真面目な性格から、ホテルのスタッフに可愛がられているようだ。
 その時、彼がレストランのスタッフに何かしら話をすると、僅か数分後には私の為に食事が用意されていた。本当は、お昼を抜いて仕事を少しでも早く終わらせようと決めていたのだが、目の前に五つ星ホテルの食事を出されると決意は簡単に揺らいでしまう。
「ねぇ、仕事の前に食事しようよ!」と彼に誘われ、薬とか盛られていないか不安もあったが、セレブ御用達の五つ星の超高級ホテルのレストランという安心感と、こんなステキなレストランで食事をする機会なんてなかなかないので、一緒に食事をすることにした。
 彼が、ジャン・レノに似たイケメンだったことは関係ない。

 簡易的なランチなので、前菜はなく、いきなりプリモピアットから始まった。シンプルなトマトソースのリングイネだ。パルミジャーノの粉末も、小さな皿に別添えで用意されていた。
 また、付け合わせのパンと一緒に、アラジンの魔法のランプみたいな形の、如何にもカレーのルーが入っていそうな、確か「グレイビーボート」とかいう名前の、他に使い道のなさそうな食器が出てきた。その中には、氷水と一緒に白い固形物が浮かんでいた。全て、薔薇の形に「彫刻」されていた。
「これは何?」と恥ずかしげもなく聞いた私に、ジャンレノはチーズだよ、と言った。そう、確かに「formaggio」と言ったのだ。グレイビーボートのカレー以外の使い道を知ったと共に、そうか、だから溶けないように氷水に浮かばせているんだ、なんて一人で納得したものだ。
 私は、上品にヽヽヽ白い薔薇を素手でつまみ取り、そのまま齧り付いて……直ぐ様、吐き出した。それは、チーズではなく、バターだった。よりによって無塩バターだ。私はジャンレノに騙されたのだ。ムカついて睨んでやると、彼は大爆笑していた。

 しばらくの間、私はジャンレノを無視して黙々とパスタを食べていた。ごめんとか、冗談だよとか、なんだかんだと言ってくるけど、ニヤニヤしていることが許せなかった。それに、成り行きでこんな男と食事することになってしまったけど、本当は早く仕事に取り掛かりたかったのだ。無塩バターを食べている暇なんてない!
 パスタを食べ終えると、絶妙なタイミングで給仕が皿を下げに来た。流石は五つ星、動きにも全く隙がない。ちょっとアル・パチーノに似た、中年の渋いおじさんだ。
 彼に「美味しかった?」と聞かれた私は、「バターが美味しかったわ」と言ってやった。
 どういうこと? と困惑するアルパチーノに、ジャンレノがニヤけながら説明した。ウケるとでも思ったのだろう。しかし、アルパチーノは出来た人だった。話を聞きながら少しずつ顔が強張り、最後には明らかに怒っていた。
 そして、私に向き直り、深々と頭を下げて謝罪した。イタリア人が、文字通りに頭を下げることはまずない。私が日本人だからこその対応だろうが、そもそも謝罪することすらイタリア人には珍しいことを思うと、彼は本当に謝意を伝えたかったのだろう。
 そして、ジャンレノを厳しい口調で叱責した。好意でランチをよばれているので文句なんて言える立場ではないのだが、アルパチーノにとってはレストランの看板を背負っているプライドがあるのだ。相手が誰であれ、どんな条件であれ、常に最上級のサービスを提供することに強い誇りがあるのだろう。そこに、損得勘定なんて介在しないのだ。

 しばらくすると、何と、騒ぎを聞き付けた料理長がやってきた。こちらはデ・ニーロのような貫禄のあるイケメンだ。アルパチーノから説明を聞いたデニーロは、ジャンレノを厳しく叱り付け、レストランから追い出した。
 アルパチーノが、ジャンレノの食器を手際良く片付け、私の為の肉料理を持ってきた。デニーロは、謝罪しながらも、空気を悪くしないようにさりげなく冗談も交え、カプリ島の魅力を語り、日本人が大好きなんだ、なんて見え透いたお世辞まで言い始めた。
 そして、「シニョリーナは、日本の何処の街から来たの?」と聞いてきた。さりげなく雑談に持ち込む話術は、私も職業こそ違うけど、学ぶべき要素満載だ。
「大阪です。ご存知ですか?」と答えると、アルパチーノも会話に入ってきた。
「オーサカ……聞いたことがない街だな」と、営業センスの欠片もないアルパチーノが正直に言うと、デニーロは少し小馬鹿にしたようにアルパチーノに言った。
「お前、学がないな。大阪は日本の大都市だぞ」
「そうなのか? でも、知らないな。トーキョー、キョート、ヒロシマ、ナガノぐらいなら聞いたことがあるけど」
「おいおい、東京の次に大きな街だぞ。イタリアでいうミラノとかローマみたいな大都市だ! 日本には他にも大都市が沢山あるけどな。大阪、シャンハイ、横浜、ソウル、名古屋……」
 デニーロとアルパチーノは、私が聞いていることを考慮してだろうか、分かりやすい発音と簡単な表現で、漫才のような掛け合いを展開していた。二つほど、違う街も混じっているが、ボケなのか真面目なのか分からない。
 そんなデニーロとアルパチーノのやり取りを、ペネロペ・クル……いや、私は微笑ましく聞いていた。すっかり、怒りは治まっていた。
「シニョリーナ、オーサカってそんなに都会なのか?」とアルパチーノに聞かれた私は、「人口が八百万人ぐらいの都市です」と教えてあげると、「八百万!」と驚いていた。何故かデニーロはしたり顔だ。
「お前さ、これを機に大阪ぐらいは覚えておけよ。うちは、日本人のお客様も多いんだから。大阪はな、東京から少し香港寄りにある大都市だ」
 どうやら、デニーロもそこまでは詳しくないようだった。

 食事を終えた私は、食後のデザートやコーヒーは辞退して、直ぐに仕事に取り掛かった。一時間以上もくつろいでしまったが、遊びに来たのではないのだ。幸い、レストランのピアノも手に負えないようなトラブルはなく、スムーズに仕事を終えることが出来た。
 さて、ナポリに帰ろう。
 工具を片付けていると、デニーロがやって来た。私も挨拶はしたかったので、丁度よかった。
「シニョリーナ、今日は申し訳ありませんでした」
「いいえ、こちらこそステキなランチをご馳走さまでした。とても美味しかったです」
「お気に召していただき、嬉しく思います。またぜひ、カプリ島に遊びに来てください」
「もちろんです。こちらのホテルには、これからも調律に来ることになると思いますし、また挨拶に寄らせていただきます。あのぉ……アルジェリア人の彼は、どうなるのですか?」
「アイツはね……家族もいない可哀想な子なんだよ。帰る所も行く所もない。まだしばらくは、ここに置いてやるよ。今は、反省して部屋に閉じこもっている。許してやって欲しい。根は真面目な良い男なんだ」
「私はもう何とも思っていないし、彼のおかげでステキなランチをいただけたのですから、感謝しています。彼がここから追い出されなくて良かったです」
「シニョリーナ、ありがとう。彼に伝えておくよ。で、これ、受け取ってやって欲しいんだ。彼からのお詫びの気持ちらしい」
 デニーロは、そう言いながら私に小さな箱を手渡してくれた。
「うちのホテルで作ったリモンチェッロだよ。金のない彼にしては、これが精一杯の気持ちなんだ。私が監修したものだから、味は保証する」
 小さな可愛らしい瓶に入った、黄色い液体。知らない人が見ると、香水や化粧品と思うだろう。カプリ島の名産品であるレモンの皮を漬け、甘く味付けしたお酒だ。お土産用の小瓶に入った小容量なので、せいぜい千円ぐらいのものだが、気持ちは嬉しかった。
 でも、私はお酒がほぼ飲めない上に、特にアルコール度数が高くて甘ったるいリモンチェッロは苦手だった。

 ちなみに、この時点では、渡伊してまだ三ヶ月ちょい。当時の私は、こんなに流暢なイタリア語会話は出来なかったので、言うまでもなく、物語用に適当にそれっぽく装飾してある。
「ありがとう。わたしの部屋で飲む」
 当時の語学力だと、こんな感じだっただろう。
 でも、語学力の問題ではなく、お酒が飲めないことは言えなかった。私はリモンチェッロを素直に受け取った。
 大嫌いなリモンチェッロなのに、帰りの船の中で何度も手のひらに取り出しては眺めていた。魅惑的な色彩とデザインの小瓶は、芸術的な造形物として、どれだけ眺めても飽きなかった。波の音が聞こえ、爽やかな風を受け、太陽の恵みを感じるかのようだ。
 そして、何と言ってもレモン——私の初めてのカプリ島での仕事は、リモンチェッロのように鮮やかで、少しほろ苦く、甘酸っぱい記憶として一緒に瓶に詰められた。



 それから僅か一ヶ月後、私は再びカプリ島へ出向くことになった。急に、ホテルから依頼が入ったそうだ。朝早くに会社に連絡があったようで、今直ぐ行ってこい! と送り出された。それ以上の詳しい話は聞かされていない。まぁ、聞いたところでどうしようもないのだが。
 さて、その日は生憎の天気。船の出港が危ぶまれるぐらいの荒天で、そのままキャンセルになることを願っていた。徒歩で港に着くと、社長に指定された水中翼船(高速運航の小型船舶)は、荒天の為に出航を見合わせるとの掲示があった。
「ラッキー、会社に報告だけして帰社しよう」と思ったが、会社は会社で私の移動中に電話で確認していたそうで、二十分後発のトラゲット(フェリー)は出航するからそれに乗れ! と言われてしまった。電話なんてしなければよかった。
 やむを得ず、チケット代を払い戻ししてもらい、トラゲットのチケットを購入した。どうやら、大型の船にとっては、この程度の天気はどうってことないらしい。ただ、多少揺れますよ、と注意された。あと、絶対に甲板には出ないように、とも言われた。本当に大丈夫なのか、不安になってきた。
 船は、経験したことがないぐらいに揺れた。前後左右に振られるだけならまだしも、上下に大きく浮かび上がったり急降下したりしながら、色んな方向に傾くのだ。遊園地のアトラクションより気持ち悪かった。映像で見たことのある蟹漁船を思い出した。

 なので、ようやくカプリ島に着いた時、既に私はフラフラで吐きそうだった。しかも、横殴りの大雨。幸い、カプリ島は小さな島だ。港からフニコラーレというケーブルカーに乗って、カプリ島の中心地、ウンベルト一世広場まで登ると、例のホテルはそこから徒歩三分ぐらいなのだ。
 左手で傘を差し、右手で工具鞄を持ち、更にショルダーバッグもぶら下げて、激しい船酔いも覚めぬままにホテルへ着いた私を、アルパチーノが出迎えてくれた。一ヶ月振りの再会だ。見るに見かねたのだろうか、アルパチーノは私の工具鞄を持ってくれ、ピアノのある場所へと案内してくれた。
 今回調律するのは、ホテルが所有するテアトリーノ(小劇場)のピアノらしい。明日、ある大物ピアニストによるコンサートが開催されるのだが、ピアニストは昨夜、既に来訪しており、今朝からステージで練習しているそうだ。
 しかし、ピアニストは、ピアノの状態がお気に召さないとのこと。本番当日に調律する(私は何も聞かされていなかったが、本当は明日私が来ることになっていたそうだ)と説明したそうだが、こんな状態では練習にならないから、今直ぐ調律して欲しいと言い出したそうだ。ということで、朝一に会社に電話があったのだ。
 テアトリーノへ移動する間に、聞いていもいないのに、アルパチーノからそんな話を聞かされた。こういう状況下のピアニストは、概ね機嫌が悪い。しかも、大者ピアニスト……私なんかの未熟な技術で対処出来るのか、不安しかない。

 私は気を紛らわそうと、ジャンレノは元気かと聞いてみた。
「あぁ、アイツね……もういないよ」
「辞めちゃったの?」
「ある日突然にね。でも、彼にとっては良いことだよ。今は、確かローマにいるよ。仕事見つけたってさ」
「そうなんですね……」
 ジャンレノは、家も家族も在留資格もないのに、不法労働とはいえ異国で仕事を見つけ生活している。きっと、これからもそうやって生きていくしかないのだろう。保険も年金もない。貯金もないだろう。おそらく、運転免許もないだろうし、当然ながら住民票なんてものもない。もしかしたら、国籍もパスポートもないのかもしれない。ジプシーと大差ない身分だ。雇う側にもリスクしかない。色んな人生があるものだ。私なんて、世界の平均からすると、きっと恵まれているのだろう。

 アルパチーノに連れられて、劇場のバックヤードに到着した。ステージ上では、誰かがピアノを弾いている。モンポウの「内なる印象」だ。渋くてマニアックな選曲……そっとステージを覗き見ると、高齢と思しき女性ピアニストが演奏していた。
 しばらく、私はステージ脇でその演奏に聴き入っていた。厳かで繊細で静謐で、時にダイナミックで、鋭く研ぎ切ったような真っ直ぐな音に、魅了された。澄み切った内声と太いベース、キラキラと水面が輝くようや高音……おそらく、イタリアに来てから聴いた中で、最も美しいピアノだ。いや、人生で一番かもしれない。
 誰もいない客席に移動したい衝動を、辛うじて抑え込んだ。そう、私は仕事をしに来たのだった。
 ピアニストが手を止めた絶妙のタイミングを見計らい、アルパチーノがピアニストへ話しかけた。どうやらスペイン語だ。彼は大阪を知らないくせに、少なくとも英語とスペイン語も話せるらしい。さすが五つ星ホテルのレストランの給仕だ。
 スペイン語は、イタリア語と似ているのだが、私には全く分からない。そもそも、イタリア語もろくに分からないのだが。ただ、アルパチーノの声掛けに反応し、立ち上がってこちらに歩いてくるピアニストには見覚えがあった。
 アリシア・デ・ラローチャだ。

 ラローチャは、スペインが誇る二十世紀最高の女性ピアニストの一人と言ってもいいだろう。当時は、現役ピアニストの中でも世界的な長老で、尊敬を集めていた。そんなラローチャが、私に向かって言った。
「あなたが調律師さん? こんな天気なのに呼び付けてごめんなさい。でも、すごく心強いわ。音がかなり狂っているの。直していただけるかしら?」
 そんな感じで、すごく丁寧に、流暢なイタリア語で話し掛けてきたのだ。緊張するなと言われても無理な話だ。実際、すごく緊張した。緊張し過ぎて、緊張していることを忘れるぐらいに緊張した。
「マエストラ、お会い出来て光栄です。私はまだ未熟ですけど、精一杯頑張ります」と言えれば良かったのに、「やってみます」というようなぶっきらぼうな返事をしてしまった。いや、多分そうだろうと思うだけで、本当はよく覚えていない。ただ一つだけ、握手した時のラローチャの手が、とても柔らかく、信じられないぐらいに小さかったことは印象に残っている。
 余談だが、帰国してから数年が経ち、ラローチャの訃報がニュースで流れた。その時に、ラローチャは手が小さくてオクターブしか届かなかったことを知り、愕然とした。私よりもずっと小さな手で、技巧的な難曲を容易く弾いていたことが信じられなかった。
 当たり前だが、やはりプロってすごい。九度とか十度なんて、ロマン派以降なら当たり前のように出て来る(しかも内声を伴う!)のだが、ラローチャは目一杯広げても八度しか届かない小さな手で、そんな曲でも違和感なく弾いていたのだから、魔法でも使っていたのではないかと本気で思っている。指が伸縮しない限り、そうとしか考えられないのだ。

 さて、カプリ島のテアトリーノに話を戻そう。
 ラローチャの演奏からは全く感じなかったが、ピアノはものすごく狂っていた。音色もバラついていた。不快なぐらいに酷いコンディションだ。なのに、ラローチャが弾くとそんなことは全く感じさせないし、むしろすごく心地良い音に聞こえるのだから、やっぱり魔法を使っているとしか思えない。
 残念ながら、私は魔法が使えない。愚直なまでに技術に委ねるしかないのだが、その肝心の技術は未熟そのもので、何とも頼りないのだ。
「どれぐらい掛かる?」と聞いてくる魔法使いに、「最低二時間は欲しい」と答えると、「あら、そんなに掛かるの?」と不審がられてしまった。
 普段、ラローチャのような巨匠を担当する調律師は、超一流の方ばかりだろう。私のような未熟者が、対応出来るようなピアニストではないのだ。ラローチャにとっては、持っていて当たり前の調律師の技量水準が、私に備わっているとは思えない。もう、絶望的……私のようなヒヨッ子が、世界的な大巨匠の要求に対応出来るはずがない。
「いいわ、二時間後に戻ってくるからお願いしますね」
 そう言い残し、魔法使いはホールから出て行った。

 せめてもの救いは、実際に作業に取り掛かると、思ったほどコンディションは酷くなく、また、思った以上に扱い易いピアノだったこと。この辺の「見積もり」が甘いと言われればそれまでだが、吉と出る方への誤認ならラッキーと言えよう。私に出来ることは限られているものの、出来ることは全部出来そうだ。
 そして、ピッタリ二時間後、ラローチャは戻ってきた。スペイン人もイタリア人と同じラテン系民族なのだから、思い存分遅刻してくれても良かったのに、ラローチャは時間厳守だった。
「ピアノは直ったかしら?」
 と言いながら、私の返事も聞かずに椅子に腰掛け、指慣らしのアルペジオを弾き始めた。緩急強弱を自在に弾き分け、合間にペダルも確認し、音とタッチの精度を瞬間的に掴み、判断するのだ。
「随分と良くなったわね。ありがとう」
 ラローチャは、ニコリともせずに、儀礼的なお礼を言ってくれた。多分、その表情からして、「期待したほどの仕上がりじゃないけど、ギリギリ及第点。でも、コイツにはこれ以上は無理なんだ」と悟ったのだろう。

 それでも、一応はOKをもらえたのだから、これ幸い、と引き払っても良かった。でも、こんな伝説級の巨匠と仕事をする機会なんてそう滅多にない。今思うと、臆病な私の何処からそんな勇気が出たのか分からないが、私は、思い切ってラローチャに話し掛けてみたのだ。
「マエストラ、私の技術では、良い仕事が出来ていないことは理解しています。申し訳ありません。もう少し、良くなる為には、何をすれば良かったのでしょうか?」
 そんな厚かましい質問を、初対面の世界的な巨匠に投げ掛けたのだ。しかし、ラローチャは、辿々しいイタリア語しか話せない異国の馬鹿女に、優しく応えてくれたのだ。

「あなた、日本人よね? 日本人は本当に一生懸命に仕事してくれるから、手抜きしたなんて思っていないわよ。でもね、逆に言うと、あなたは精一杯のことをしたでしょうから、これ以上を望むのは間違いってことなの。後は、私がこのピアノを弾きこなすから、大丈夫よ。私の為に頑張ってくれたことは理解しています。ありがとうね」
「マエストラ……私は、もっと調律が上手くなりたいのです。私に足りないものは何でしょうか?」
「あなたは熱心ね。足りないもの……一つは経験でしょう。これは直ぐにはどうしようもないけど、続けることが大切ね。後はね、若い調律師さんは皆んなそうなのだけど、ピアノの音を見てヽヽヽヽ合わせているうちは、良い音は作れないのよ。そうじゃなくて、ピアノの声を聞くヽヽヽヽの。それが出来るようになるだけで、随分と改善されるはずよ。またいつか、何処かでご一緒出来ることを楽しみにしてるわ」

 音を見る……この表現は、調律師にしか分からないだろう。チューナーを使うという意味ではない。音合わせの際の、波動の変化の追いかけ方が、実際には唸りの変化を聞いているのだが、「聞く」よりも脳内で波動を「見る」感覚に近いのだ。安っぽいドラマの心電図の波が、少しずつ弱くなり消えていく感じ……ピッタリと音が合った時、波はフラットになる……そういう感じの変化を、まさに「見ている」感じなのだ。
 でも、そうじゃなく、ピアノの声を聞くこと……これは、もっと分かり辛い。ただ、調律師の聞く音は物理的なアプローチで捉えるが、ピアニストは感覚的に捉えている。おそらく、そういう音の聞き方を問われているのだろう。
 ピアノほど、物理の法則に支配された楽器はないだろうが、音楽は波動工学ではなく、感性で受け止めるべき。だからこそ、物理だけに依存していてはダメということだろう。
 ラローチャは、私にそういった示唆を与えてくれなのだ。どこまでも優しく、温かい人だった。そして、間違いなく私にとっての魔法使いだ。私は涙を堪えながら、ラローチャの深い言葉に頷くしかなかった。

 微笑む魔法使いと涙を堪えるイザベル・アジャ……私を、アルパチーノが不思議そうに見ていた。多分、彼にはラローチャの言葉にどれ程の深い意味があるのかは分からないだろう。でも、私には、本当に心の奥底まで浸透していくような言葉だった。
 音の捉え方、音との向き合い方、そして、音の聴き方と作り方……全てを見つめ直す機会となった。私の調律師人生の大きなターニングポイントになったと、今でも思っている。嵐の中、大嫌いな船に乗ってきて、本当に良かったと思った。
 そして、今日なら少しぐらい、リモンチェッロを飲んでみてもいいかも……と思った。

(了)

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