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羊の瞞し 第4章 EGOISTICな羊(6)

前話目次

(6)ピアノ専科


 事務所に到着すると、榊は先に来て待ってくれていた。どうせ、機嫌が悪いのだろうと予想したものの、そんなこと気にしてる場合ではないし、時間も限られている。
 とりあえずは、「お疲れ様です。急にお呼びたてしてすみません」と形式的に挨拶をしたが、予想に反して機嫌の良さそうな榊は、返事もせずに「おぉ、丁度良かった。悪いけど、今晩の仕事中止になったぞ」と一方的に話を始めた。
「え? どうしてですか?」
 はやる気持ちを抑え、とりあえずは、榊の用件を先に済ますことにした。
「今日は、新規オープンのスーパーにレジを運ぶ予定だったんだ。でも、今晩の降水確率が100%なんだとさ。しかも、強く降るらしい。ちゃんと養生するから濡れないって言ったんだけどな、やっぱ精密機械なんで、店長がキャンセルしてくれって言ってきてな……すまんがそういうことなんだ」
「そうなんですか……でも、今晩って言うか、今すぐにでも降りそうな雰囲気ですもんね」
「あぁ、機械モノは雨だと厳しいよ。ピアノのアクションもそうだよな。雨の日は、引取りも納品も禁止だろ?」
「そうらしいですね、僕はまだ経験ないですけど」
 つい、榊のペースに乗せられ、肝心の相談話をなかなか切り出せないでいた響だが、幸いなことに榊から話を振ってくれた。
「で、お前の話って何だ?」

 響は、昨夜の掘り起こしでアポが取れ、ピアノを見てきたことを榊に説明した。お客様の情報を始め、オーバーホールが取れるかもしれないこと、その場合、会社に内緒で行いたいこと、運送は榊にお願いしたいこと、仕上がったら篠原に見せたいこと、まだ梶山にも会社にも報告してないこと……など、順を追って詳しく説明した。
「ちょっと待て、一つ突っ込ませてもらっていいか? 一番重要なことが抜け落ちてるぞ。根本的なことだけど、そのピアノは何処に運び込むんだ? と言うか、肝心のオーバーホールは誰がやるんだ? まさか、自分でやってみるつもりじゃないだろうな?」
 響は、既に覚悟を決めていた。それに、榊に本当のことを伝えなければ、プロジェクトは何も進展しない。

「ピアノは……僕の自宅に運びます。実は、一階がピアノ修理工房になってまして、オーバーホールの設備も揃っています。もちろん、僕には作業は出来ないのですが、まだ直接話はしてませんが、父にやって貰うつもりです」
「父って……お前の親父さん、調律師なのか? ……えっ! お前、ひょっとして……そう言えば、お前の家って何処だ?」
 榊の運送屋でのバイトは、元々親しかったこともあり、面接も履歴書もなく始まった。なので、榊は響の携帯電話の番号以外の個人情報を知らなかったのだ。
「すみません、隠すつもりはなかったのですが……自宅は笠木市です」
 地名を聞くと、榊は驚きと納得を同時に表現したような顔付きになった。
「お前、そんな遠くから通ってたのか。なるほどな……松本だもんな、気付かなかった、と言うかさ、考えもしなかったぜ。宗佑さんに子どもがいたなんて聞いてなかったぜ。それに……失礼だが、宗佑さん、まだ現役だったんだな。全然話聞かないし、とっくにこの世界から足を洗ったと思ってたが……そう言えば、お前、いつか無職みたいな父親の面倒みてるって言ってよな。宗佑さん、仕事してないのか?」
「仕事はしてると言えばしてますが、殆んど仕事がないので、何もしてないようなもんですが……アキさん、父をご存知なんですか?」
「はははっ、知ってるも何も……親父さんに聞きな。いや、しかし宗佑さんか。懐かしいなぁ。昔、外回りやってた時、宗佑さんが担当してたピアノに何回か当たったことがあるんだ。調律カードを見るまでもなく、宗佑さんの手掛けたピアノはすぐに分かるんだ。どれも見事な調整がされててな、すげぇとは思ったけど、よくそんな呑気な仕事してられるなと不思議に思ったもんだ。そうか、響は宗佑さんの倅だったんだな……よし、この話、進めてみよう。宗佑さんがオーバーホールするなら、問題ないだろう」

 全くのダメ人間だと思っていた父が、意外な人から高く評価されていたことに、響は驚くというよりも呆気に取られた感じだ。以前、母が言っていた通り、どうやら宗佑は、技術者としてはそれなりの名声を得ていたようだ。
「ありがとうございます。それで……まずは早急に見積書を送付しないといけないのですが、社印とかどうしたらいいのかなと思いまして……」
「そうだな……興和の社印を使うと法的にヤバイから、いっそのこと屋号を作るか? ここを営業所にして代表を俺にすりゃ、もし興和にバレてもお前のクビは守れるさ。社印なんか、今のご時世、二日ぐらいで作れるんだ」
「でも、興和楽器の松本ですって、名乗ってしまいましたけど……」
「大丈夫だ。その客に今日中に電話して説明するんだ。オーバーホールは提携してる工房で行います、見積書もそちらが作成します、とな。それでも、興和に電話を掛けてくる可能性はあり、それが一番危険だ。その点だけは、改めて念を押すなり、お前の携帯を教えるなり何とか手を打ってくれ」
「分かりました。あと、他に急ぎでやることはありますか?」
「まずは、なるべく早く親父さんを説得して、本物の見積書を書いてもらえ。多少内容を変えて、二〜三通りのプランを用意するように。それをベースに、俺が運送費も含めた見積書を作り直す。それと、その客の調律カードは、手元にあるか?」
 響が軽く頷くと、「そのカード、絶対に興和には戻すなよ。スリープが一枚減ったって、誰も気が付かない。それよりも、誰かに気紛れで電話掛けられたら大変なことになる」と榊は言った。
 響は、そんなことにまで気が回る榊を、少し恐ろしく思った。この人には、隙がない。それどころか、常に先の先まで読んでいる。誤魔化しは通用しないだろう……そう悟ったのだ。

「あとはさ、屋号をどうするか考えろよ。全部、直ぐにでも取り掛かれ。早ければ早い方が良い。篠原さんに見せたいなら、納調とメンテを彼女に頼めばいいじゃないか。新規顧客の紹介にもなるからな、篠原さんも悪い気はしないはずだ。まぁ、オーバーホールが終わるまでは、篠原さんには何も話さない方が良いだろう」
 榊は、的確な指示を明確に命じた。この辺りの機転の敏捷びんしょうさは、榊の持って生まれた才能だろう。響はただ、従っていれば上手くいくような気になった。

「承知しました。直ぐに取り掛かります……でも、屋号は……すみません、僕はそういうのに全くセンスないので、アキさんにお願い出来れば……」
「OK……なら、今閃いた名前でいこうか、そうだな、『ピアノ専科』ってのはどうだ?」
「流石、アキさん! カッコいい名前ですね!」
「じゃあ、これからピアノ関連の仕事は、全て『ピアノ専科』の屋号を使うことにしようか。篠原さんの運送とか、オーバーホールとか……実は、ピアノの仕事を増やそうとは思ってたところなんだ。大急ぎで社印を作らないとな。それで、最後に聞くが、そもそもそのオーバーホールは決まりそうなのか?」
「正直、分からないです。僕の中の感覚では、半々ぐらいかな? と思ってますが……」
「50%か。まぁ、今晩の降水確率よりはマシってことだな」
「流れないように、何とか説得してみます」
「おぉ、頼んだぞ」

 後に、悪名高い詐欺カンパニーとして大成長を遂げる『ピアノ専科』は、こうして響が持ち込んだ話から誕生したのだ。興和楽器の客の横取りいう、不道徳で不法な手段から得た仕事とは言え、目的はピアノとユーザーのことを最優先に考えた、真っ当なオーバーホールだった。皮肉な話である。


(次へ)



本日分を持ちまして、『第4章 EGOISTICな羊』は終わりです。

全7章のうち、これで4章が終わったのですが、文字数で言いますと、ここまでで約10万文字ちょっと、まだ折り返しまで来ておらず、12万文字近く残っております。

ということで、残り3章は全て長めの章になります。
章タイトルから予測出来ますように、この後「カオス」から「悲劇」と繋がり、ファンタスティックな終焉になる……予定です。

引き続き、お読みいただけますと大変嬉しく思います。