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似非エッセイ『十二月』(#シロクマ文芸部)

(本文3,640文字)

 十二月は「師走」と呼ばれるように、「師」の付く職業が忙しい月……と小学生の頃、担任教「師」は言いました。とっても素直な小学生だった私は、ずっとそう信じていました。
 いつしか私も「師」の付く職業に就くようになり、十二月が忙しくても「師走」だから仕方ないね、と諦めていたのですが、最近になり、なんと「師走」の「師」は「師の付く職業」のことではないらしいことを知ったのです。どうやら、「師」にガセネタを掴まされていたのでした。
 ということで、師走の本来の意味を調べてみました。すると、「師」は「僧(僧侶)」を意味しているそうです。この時期の「師」は、仏事などでお経をあげるために東西を忙しなく「馳せる」いう意味から「師馳す(しはす)」と呼ばれ、それが変形して「師走」になったそうです。
 しかし、もっとよく調べてみますと、これもまた疑問符付きの説に過ぎず、ガセネタの可能性があるらしいとのこと。
 となると、師走の語源は何でしょう? 

「シラス」が大量に獲れたから、というのは今作ったガセネタですが、どうやら一説によると、新年を迎える前に衣服やお肌を少しでも良い状態にしておこうと「皺を伸ばす」習慣があり、これが短くなって「しわす」と呼ばれ、もっともらしい当て字が付けられ「師走」になったのだそうです。ちなみに、これも今作ったガセネタですが。
「幸せっす!」が訛ったというのも、今作ったガセネタです。



 noteのマイページから月別アーカイブを開きますと、どうやら私が今のアカウントで、本格的に作品の投稿を始めたのが、去年の十二月のようです。つまり、実質の活動期間が丁度十二ヶ月ということになります。
 この十二月で丸十二ヶ月、お題が「十二月」で始まる文芸ですから、これを機に、この十二ヶ月を振り返ってみようと思います。
 ちなみに、去年の十二月は、先ず六日に掌編小説の「正確に、省略しないで話すわね」という作品を投稿しました。これを皮切りに、その後も掌編ばかり、合わせて九作投稿しました。まもなく、実質の活動一周年なのです。

 しかし、実のところ、十二月以前にも幾つか気紛れに投稿していました。なので、厳密には十二ヶ月記念でもないのです。
 もっとも、noteの今のアカウントは、七年以上も前に取得していました。何も投稿せずに、持っていただけでしたが。
 当時、noteをどう使っていこうか、そもそも使うのか、というレベルで迷っており、試しに音楽作品を二曲アップしてみたのです。それが去年の二月でした。しかし、当然ながら特にめぼしい反応もなく、アクセスもほぼなく、またnoteを放置するようになりました。

 そして、半年後。
 インスタで不定期的に書いていた読書日記を、noteに移そうと思い立ちました。インスタが、煩わしく感じるようになっていたのです。
 実際に幾つか持ってきたものの、途中で面倒くさくなってしまい、そのまま投げ出してしまいました。やはり、記事をアップしてもアクセスもないし、ただ置いておくだけになっていたので、どうしてもモチベーションが上がらなかったのです。
 しかし、その年の十二月から、吹っ切れたように乱投を始め、現在に至るのです。レビューが「ただ置いておくだけになった」のを逆手に取り、それならそれで、過去作を保管しておく場所には好都合だと考えたのでした。当時、過去作の保管を兼ねて利用していた小説投稿サイトで色々ありまして、別の保管庫を探していたのです。(しかし、我ながらどこに行っても一悶着起こしていますねぇ……)

 年が明けて(今年に入って)からは、レビューも再開しつつ、「54字の物語」の投稿も開始しました。掌編、レビュー、54字の三種を、連日投稿しました。もっとも、全て過去作です。単なる保管庫としての利用と割り切り、機械的な移植作業をコツコツと続けました。
 同時に、時折エッセイも書くようになりました。エッセイに関しては、過去作もあれば、その時に書いたものもあります。たとえ誰の目にも止まらなくても、書きたいことを書ける場所が出来て、喜んでいたのです。多分。

 三月に入ると、童話のパロディ(これも過去作)の投稿も始めました。
 やはり、誰にも見向きされなかったのですが、本人はものすごく気に入っている作品集です。基本的にブラックネタばかりですが、童話とブラックジョークは相性が良いと思っています。
 四月には、時々イラストの投稿もするようになりました。「鬼滅の刃」のキャラクターの鉛筆画です。でも、基本は54字、掌編、レビュー、パロディの過去作の整理と、時々気紛れでエッセイを書くという利用法でした。
 そして、五月。創作大賞が始まり、noteでは初めて長編を連載するようになりました。『歌を忘れたカナリアは』に始まり、『EGOIST』『彼女達のピアノ』と、三作品、立て続けに連載しました。
 その結果なのかどうか分かりませんが、少しだけ、フォロワーが増え始めたのもこの頃です。と言っても、三十人ぐらいだったと思いますが。

 六月になると、大きな変化がありました。「シロクマ文芸部」に初めて投稿したのです。すると、記事に付くスキの数が一気に増え、二桁が当たり前になりました(低レベルですが)。逆に言うと、五月までのスキの数は、創作大賞の応募作品以外は、ほとんどが一桁だったのです。
 そして、七月。
 なんと、無謀にも初めてイベントを主催してみました。「54字の宴」です。今思うと、フォローが三〜四十人しかしなかったのに、我ながら無鉄砲なことしたなぁとビックリしています。
『ニャンコの目』を始めたのもこの頃です。

 八月は、自主開催イベントを無事に終えてホッとしており、その反動から、好き勝手なことしていたと思います。【La Pianista】という長編を連載したり、大喜利大会を開催したり。54字のクイズなんてものもやりましたし、イラスト、エッセイ、ニャンコの目も継続していました。でも、レビューはこの月にアップしたのを最後に、今現在までなぜか更新が止まっています。(忘れてたとは言わない!)
 ハミングバードさん主催の「ドラリレー」を、スズムラと一緒に荒らしてしまったのもこの月です。
 また、あるユーザーとごちゃごちゃとくだらないトラブルがあり、ネガティヴ路線のエッセイも幾つか書いたと思います。

 九月になると、「毎週ショートショートnote」にも投稿するようになりました。ずっと小説を書いていなかった私にとって、シロクマ文芸部と毎週ショートショートは、とても有意義なリハビリにもなっています。
 また、ハミング杯にも応募(落選)しましたし、月末には「プレ宴」なんてイベントも開催しました。

 そして、十月は、なんと言っても2回目となる「54字の宴」ですね。世界各国から沢山の方にご参加いただき、また「アフター宴」という「おかわりイベント」もやってしまい、コメント制限と闘う毎日でした。ちょっと大袈裟に書いていますけど、海外在住の方が三名もいたのは本当です。しかも、その中に群馬は含まれておりません。
 同時期に、「スズムラなりきり選手権」も開催されました。あと、「ターミナル・ケア」の連載をコッソリ始めたものの、2〜3回でコッソリ打ち切りました。すみません。
 個人的なことでは、54字の物語でようやく千作を達成しました。

 十一月は、つい先月のことですが、やはり何と言っても「小牧幸助文学賞」でしょう! 僅か20文字という新しいフォーマットで織りなす「小説」に、書き手としても読み手としても、のめり込んでしまいました。
 あとは、「羊の瞞し」という、20文字とは真逆の、私の中では最長の長編作品の連載を開始しました。これも過去作ですけど、22万文字ぐらいありますので、最後まで付いてきてくださる方はいないかもしれません。

 でもって、十二月。今月最初の創作は、シロクマ文芸部にしようと思っていました。発表されたお題は「十二月」から始まる文芸作品です。
 十二月と言えば……師走です。
 師走ネタは書いてみたい気もしたのですが、色んな人も書きそうな気がしますし、私は長らく師走の意味を間違っていたのです。「師」の付く職業の人が忙しい時期、と教えられたのですが、どうやらそうじゃないらしいのです。
 でも、素直な私はその話を鵜呑みにしてしまい、私自身「師」の付く職業なもので、コレはネタに出来るかも……と思ったのですけど、どうやら「師走」の「師」は僧侶を意味するそうです。
 その昔、僧侶がコッソリ集まって、除夜の鐘を叩く担当を決める為に、徒競走を行っていたことが語源なのだそうです。今思い付いたガセネタですけど。
 それよりも、確かnoteでの活動を始めて、実質的に十二ヶ月なのです。しかも、今は十二月。これを機に、noteでの十二ヶ月を振り返ってみるのもいいかなと思っていますが、特に書くことがありません。


(了)


#シロクマ文芸部 に参加させていただきます。

エッセイなのか小説なのか、自分でもよく分からないお話なので、「似非エッセイ」というタグを付けたら、色んな方がこのタグを使っていました💦