「かもめのジョナサン」はロマンティストか否か?

「あなたの尊敬する人って誰?」
「そうだなぁ……尊敬とはちょっと違うし、しかも人じゃないけどね、昔からジョナサン・リビングストーン・シーガルに憧れてるよ」
「人じゃないって、何なの、それ?」
「お前、『かもめのジョナサン』ぐらい、知らないと恥ずかしいぞ」
「なにその言い方……確かに読んだことはないし、『かもめのジョナサン』ってタイトルぐらいしか知らないけどね、ちょっと読んだことあるってだけで、しょうもないマウント取るのやめてくれる? それにね、あなたの何倍も本は読んでると思うわ。ヒースクリフみたいに復讐しましょうか?」
「えぇっと、ヒースクリフって……」
「『嵐ヶ丘』も知らないなんて恥ずかしい人ね。って言われたら腹立つでしょ? 大体ね、自慢気にカッコ付けて、わざわざフルネームで言うから分からないんじゃないの」
「ごめん、そんなつもりじゃなくて……ホントごめん、ちょっと言い過ぎたね……とにかく、『かもめのジョナサン』のジョナサンに憧れてるんだ」

「でも、それってカモメでしょ? あなた、カモメになりたいの?」
「いやいや、そうじゃなくて……ジョナサンは特別なんだよ」
「何が違うの?」
「カモメって、何故空を飛ぶか分かる?」
「何故って……そういう動物だからじゃん」
「う~ん、まぁ、そうなんだけど……」
「だから何?」
「え~とね、普通のカモメにとっては、空を飛ぶってことは当たり前過ぎることだろ? 人間に当てはめると、立つとか歩くみたいにね。だから、特別意識することでもないんだ。そんなことより、食べることの方がずっと重要だよね」
「食べることも当たり前だと思うけど、飛ぶことより重要ってことは分かるわ」
「でもね、ジョナサンにとっては飛ぶことの方がずっと重要で、どうすれば速く飛べるかってことを追求するんだ」
「うーん……それって、人間で言うと、競歩でオリンピック目指すって感じ?」
「いやぁ、そういうことでもなくてねぇ……どう言ったらいいんだろう。飛ぶってことは象徴的な行動として取り上げてるだけで、本当のテーマは、周囲からどう思われようと自分にとって大切なこと、まぁ、分かりやすく言うと夢とか目標だね、そういったものを探求し続ける精神が素晴らしいって話だよ」
「ふ~ん、そうなんだ。だとしても、良さがよく分からないわ。夢に向かって頑張るって、昭和のスポ根モノと同じコンセプトだし、それが良い話ってのは当たり前と言えば当たり前の話だよね。でも、何処にでもあるありふれた美談に過ぎないじゃん」

「まぁ、そう取られるのも分からなくはないけど、でも、それだけじゃなくてさ、もっと哲学的でもあるんだよ。ほら、カモメって普段は群れで生活してるじゃんね? でも、ジョナサンは皆で食事している時も、速く飛ぶことばかり考えてるんだ。仲間は誰も、そんなジョナサンの考えが理解出来なくてね、皆から異端者扱いされて、ついには群れから追放されちゃうんだけど、それでもジョナサンは信念を曲げずに、ひたすら速く飛ぶための努力を続けるんだ」
「う〜ん、それのどこが……単なる変人じゃん」
「え? 何でそうなるの?」
「えぇとさぁ……あのね、人間でも時々いるじゃん、団体行動を乱すヤツ。夢の追求とか言えば聞こえは良いかもしれないけど、よく考えたら、結局それって常識がなくて協調性に欠けてるだけじゃないの?」
「いやいや、そうじゃなくて……俺が言いたいのは、世間体とか常識にとらわれず、高尚な人生の目的を追求するってことは素晴らしいってことだよ。何か格好良いじゃん。周りからどう思われようと、夢に向かってひたすらストイックに努力するって。ジョナサンのそういう精神性にね、すごく共感出来るんだ」

「でも、あなた、安定が欲しいから公務員になりたいって、そのために勉強を頑張ったって言ってたじゃん。ってことはさ、あなたの人生のテーマは、公務員で安泰な人生を追求するってことなの?」
「それを言われると辛いんだけど……でも、確かに人生を賭けてでも成し遂げたいような夢は、当時の俺には見つけられなかった、ってことは認めないとね。だから、差し当たって安定を選択した……まぁ、その為に頑張ったっていうのは、恥ずかしいけどその通りだよ」
「公務員は恥ずかしい仕事じゃないわ。私が言いたいのは、ジョナサンみたいな生き方に憧れているのなら、今からでもやればいいじゃないの? ってこと。ってかさ、なんでやらないのか不思議。どうせ、出来ないんでしょ? って思っちゃう」
「そうは言ってもさ、現実的な問題ってのも無視出来ないよ。まぁ、こんな俺でもね、今となっては仕事上の責任もあるし、一旦社会性を持つとね、切り離すのはなかなか難しいのも事実なんだよ。でもね、職業に限定する話でもないじゃん。何か生涯掛けて取り組める夢を見つけたいなって、それは常に思ってるよ。本当に自分がやりたいこと見つけられたら、無責任と言われようがね、ジョナサンみたいに全てを投げ打ってでも、それだけを追求する人生もいいかなって思ってるんだ」

「じゃあさ、もしよ、もし宝くじで三億円当たったらどうする?」
「そうだなぁ、まずは仕事を辞めてね、自分の生きたいように生きるね」
「ほらね、やっぱりあなには無理なのよ。だってそんなことはね、三億円なんてなくてもやろうと思えばいつでも出来るはずだわ。あなたはね、安全地帯に立っていないと大声出せないのよ」
「そう取られると心外だな。そりゃさ、何やるにしても保険は必要だよ。それにさ、保険として三億円があるかないかより、まずは人生を賭けて取り組みたいと思える何かがあるかないか、そっちの方が大事なんだよ」

「言ってること矛盾してるじゃん。三億円以前に人生を賭けて取り組む何かを見つけることが必要、とか言っておきながら、三億円あるならまず仕事辞めるって、説得力なさ過ぎだよ。それに、もしやりたいこと見つけたとしても、本当に今の生活を捨てられるの? あなたにはまず無理よ。どうやって食べていくつもり? 家賃はどうするの? 年金とか保険も払えないでしょ? 病気になったらどうするの? 毎日外食ばかりしてるし、必要も無いのにデカイ車に乗ってるし」
「厳しいこと言うなぁ……でも、本当にやりたいこと見つけたら、どんなに貧乏で苦労しても、夢を叶える努力だけの人生もいいなって思ってるよ」
「言うのは簡単よ。でも、あなたは現実を知らないんだわ。年金、保険、光熱費、通信費、ガソリン代、食費、家賃……そういったものの一日単価を出してごらんなさいよ? 毎日何もしなくてもね、生きているだけで数千円消えているのよ。そういうこと、考えたことある? あなたみたいに、勝手に安定した給料が振り込まれて、必要な経費は全て引き落とされて、何でもカードで買う人が、どんなに貧乏で苦労しても……なんて言ってもね、全く説得力ないわ」
「確かに、そうなった時に初めて見える現実の厳しさってのも、沢山あるんだとは思うよ。それぐらい、分かってるし覚悟もしてるさ。でも、そういう厳しいことを差し引いてもだね、それでも夢を追求する人生ってのに、憧れはあるんだ」

「はいはい、憧れるのはご自由にどうぞ。でもね、あなたは自分勝手な暮らしに憧れてるだけじゃん。いえ、もっと言えばね、それが出来る経済的なゆとりもね」
「そんなことないよ……」
「もしあなたが三億円を手にしてもね、飲んで遊んで散財して終わるわ。三億円なんてね、貯めるのは大変だけど、使うのはあっと言う間よ。それを保険に、ひたすら夢を追求する人生なんて、絶対に出来っこないわ。もし夢とか目標を見つけたら……なんてね、そんな気のない人が口にするセリフよ」
「それは……そうなってみないと分からないじゃないか」
「えぇ、確かにそうね。私の予想に過ぎないわ。でもね、あなたの話って、何も三億円なくても出来ることばかりじゃない。社会的な責任が、とか言いながら、もし三億円あればって話になるとそこは無視でしょ? 言い訳にしか聞こえないわ。じゃあ、一度、今の仕事続けながらでもいいからね、ジョナサンみたいに何か一つのことに打ち込んでみたらいいじゃん。絶対に投げ出すから。今までだって、ジム通いもゴルフもガーデニングもギターも、全部中途半端でやめたでしょ? 植物はすぐ枯らすし、熱帯魚もすぐ死んじゃったし、いつも口だけでやらないじゃん」
「……」
「音楽とか美術とか小説とかもそう、お笑い芸人なんてのもそうね、お金がなくても夢を叶えるために必死に取り組んでいる人はいっぱいいるわ。いや、それなりの仕事をして収入を確保しながらでも、プライベートの時間を極限まで削って趣味とか創作活動に取り組んでいる人もいるわ。要するに、本当にやりたいことはどんな環境でもやりたいし、やれるの」
「……」

「ついでに言うとね、話を戻すけど、私はジョナサンみたいな人、大嫌いよ。凄い自己中にしか思えない。社会性ってものを教えてあげたいわ。仲間や周囲の人と協調することは、私はすごく大事だと思ってるし、そういう周囲とのコミュニケーションを大切にする人生も価値ある豊かな選択だと思うわ。ジョナサンってね、あなたの話聞いてると、自分以外の人生を軽く見てるように思えるの。どんな人生も、ジョナサンの人生と等価値であるはずよ」
「自己中とは思わないけど……」
「どうして? どう考えても自己中じゃない。自分の時間に好きなことするのは勝手だけど、団体でいる時は規律とか常識を守らないといけないわ。学校でも会社でもそうでしょ? 皆が迷惑するもん。結局ね、ジョナサンは自分のことしか考えてないの。一人が好き勝手な行動をしたら周囲が迷惑するってことに、全く気付いてないってことでしょ? やっぱ自己中よ」

「うーん……なんと言うのか、まぁ、俺の説明の仕方が下手なだけだよ。この本、本当はもっと良い話なんだ。今度貸すから、一度読んでみてよ」
「三億円の保険がなくても行動に移せた分、あなたよりはちょっとはマシでしょうけどね、私、別にジョナサンになんか魅力感じないわ」



  男は思った。
(こんなロマンの追求の話、女にするんじゃなかった。所詮、女には理解出来ないからな……)

  女は思った。
(どうせ、女には分からないって思っているんじゃないかしら? ホント、男ってバカね……)