クラムボンは笑ったよ

——ということでして、本日は賢治童話の研究においては第一人者と言ってもよいでしょう、花巻文化大学の鈴木孝志教授、そして、先月に『クラムボンの意外な正体』という著書を出版されました、フリーライターの鶴田光義さん、両氏にお越し頂きました。お二方、どうぞよろしくお願いします。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
「あぁ、どうもどうも」





——では、早速ですが……鈴木教授の見解では、やはりクラムボンは“泡”ということでよろしいのでしょうか?

「そうですね、まず間違いないでしょう。でもね、念のため申し添えておきますと、別にこれは私独自の見解ではなく、もう何年も前からですね、数多くの研究者が導き出した一つの結論でして、今では賢治童話の研究者で異論を唱える者はいないと言ってもいいぐらい、たくさんの裏付けも実証されているいわば定説です。でもって、私もこの“クラムボンは泡である”という説を支持している一人に過ぎません」


——では、何故その説が生まれたのか? もう少し、具体的にご説明頂けますか?

「そうですね、まずは『やまなし』の冒頭のシーンを思い出して頂きたいのですが、幼い蟹の兄弟の会話で始まりますね。そこでいきなりクラムボンが出てきます。クラムボンは笑ったよ、ってね。そこで考えて頂きたいのですが、蟹は英語で何と言います? crabですね。で、泡が弾けるところを爆弾に例えてbomb、つまり、蟹の泡を英語で文字った造語なのですよ」


——あぁ、なるほど。クラブとボンでクラムボンですか。

「そこで、もう一度冒頭に戻ってください。泡の持つイメージとして、“脆さ”や“儚さ”が思い浮かぶでしょうが、そのイメージをそのままクラムボンに投影して読んでみて下さい。ね、すぐにお分かりだと思いますが、何の違和感もなく、見事にイメージが重なりますよね?」


——なるほど、カニの兄弟が自ら出した泡に名前を付けて、笑った、死んだと遊んでいる光景が目に浮かびますね。死んだというのは、泡が弾けて消えたということですね。

「そう考えると、物語の中盤で、少し成長した兄弟が泡比べをして遊ぶシーンがあるのですが、そこにも自然と繋がるのです」





——さて、鶴田先生は、鈴木教授がご説明されたクラムボン=泡という説を、真っ向から否定されていますが?

「だってねぇ、クラブとボンでクラムボンって……ちょっと強引じゃないの? くだらない駄洒落だよねぇ。何て言うのかなぁ、どうしても泡じゃないといけないから、と言うより、もっと言えば、泡だと都合が良いからっていう、何かこじつけっぽさを感じちゃうんだな」


——なるほど。鈴木教授、無理矢理泡に繋げているという鶴田先生のご意見について、何か反論は?

「こじつけていると感じるかどうか、これは個人の主観によるものですから、何とも申し上げられませんが、さておき、こういった言葉遊びによる命名は、何もクラムボンに限ったものではなく賢治童話の一つの特徴でして、他の作品でもしばしば見受けられます。典型は、ゴーシュですね。フランス語で不器用って意味に繋がるのですが、セロ弾きなのに不器用、敢えてそういうネーミングにして、登場人物に運命を背負わせるという手法も賢治童話の特色の一つです」


「いや、ゴーシュの場合はそうかもしれないけど、クラムボンに蟹の泡爆弾だという運命を背負わせて、何になるのかね? 大体、泡が笑うわけないじゃないか」

「ちょっと、鶴田先生、そんなこと言い出したら、蟹も喋らないし、象や熊、よだかも喋らないってことになりますよ」


——確かに、鈴木教授の仰る通り、賢治童話に限らず、世界中の童話を否定することになると思いますが。その辺はどうなのでしょう?

「あのさぁ、別に、動物や植物の擬人化は問題にしとらんよ。泡が笑うか? って言ってるんだ」

「泡は笑いませんよ。でも、幼い蟹の兄弟が泡にクラムボンと名付けて、笑った、死んだって無邪気に遊んでる様子を描いているだけじゃないですか」

「何で、東北の田舎の川に住む幼い蟹が英語を知ってるのかね。それに、フン、泡ですよ、泡。ハハッ。僕も子供の頃シャボン玉が大好きだったけど、シャボン玉が笑ったなんて言うガキ、一人もいなかったわな」


——議論の途中で恐縮ですが、一旦CMに入ります。





——さて、今度は鶴田先生の仰るクラムボンの意外な正体についてお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

「それは、私も是非聞いてみたいね」

「まぁな、本にも書いたんでそっちを読んで貰いたいのだが、要はだな、クラムボンって生き物がいたんだな。それだけのことだ。そんな当たり前のことが何故無視されてきたのか、僕には不思議でしょうがないんだな」


——つまり、クラムボンは何かの象徴ではなく、具体化すべき生物だと?

「そんな難しく言わんとってよ。そういう生き物がいたってことだ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。鶴田先生、それはいくらなんでも無茶過ぎます。それに、もしそうだとしたら、色々と疑問が湧いてきますね」


「疑問って何だね?」

「まず、『やまなし』以外に、勿論賢治童話に限らずね、クラムボンという動物についての資料や記録がありませんね。東北の郷土民俗学や歴史に関する文献は、一応私の専門ですけどね、クラムボンなんて生き物、私は知らないし聞いたこともない」

「聞いたことがないからって否定するのは違うだろ? んじゃさ、あんたはクラムボンって泡、知ってるのか?」


「いや、それとは話が違うでしょ。蟹の兄弟が泡のことをクラムボンって名付けたってことですから」

「ほら、すぐ泡って決めつけて考える。何らかの小動物がいて、それを賢治がクラムボンって呼んでたって可能性はハナから無視しとるだろ?」


「それは、まぁ……えぇ、そうですね、確かにそうかもしれません。では、その賢治がクラムボンって呼んでいた小動物のことを教えてくださいよ」

「あぁ、だから今から説明しようとしてたんだ。あんたが口挟むから話が逸れたんだよ。ええっとだな、淡水クラムボンは希少な動物だったと考えられるしな、既に絶滅しているから……」


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。今、淡水クラムボンって言いました?」

「あぁ、そうだな、まずクラムボンの説明をしておかないとな。クラムボンには水生クラムボンと陸生クラムボンがいて、水生クラムボンは更に淡水クラムボンと海水クラムボンに分類されるんだ。『やまなし』に出てくるクラムボンは水生クラムボンの中の淡水クラムボンだな。でも、残念ながら淡水クラムボンは絶滅したと考えられている。学術上の正式名称がクラムボンなのかどうかは分からんが、賢治はそいつのことをクラムボンと呼んでいた、ってまぁ、それだけのことだよ」


「正気ですか? 今の説明で、誰が納得出来ると思います? じゃあ、海水クラムボンはまだいるってことになりますよね? そもそもクラムボンってどんな動物なんですか?」

「あんたが納得するかしないかは、どうでもいいんだ。読者や視聴者の判断に任せるんでな。それとだな、あんたの言う通り、海水クラムボンはまだいるよ。進化の過程で淘汰されて、かなり小さな生き物になっちまったけどな。今では、クラムボンって言うよりもクリオネって言った方が通じるかな。クリオネ、知ってるだろ? あれ、いかにもかぷかぷ笑いそうじゃないか。アイツが海水クラムボンだ。まぁ、賢治の見た淡水クラムボンはもっと大きかったんだろうけどな」


「そ、それは……いくらなんでも暴論でしょ。ふざけてるのですか? まぁ、百歩譲ってそうだとしても、じゃあ、陸生クラムボンって何ですか? 陸生のクリオネなんて聞いたことがない。また絶滅で誤魔化す気ですか?」

「誤魔化す気なんかさらさらないけどな、残念ながら、陸生クラムボンが絶滅したのかどうかは、はっきりと断定は出来ない。でもな、世界中で目撃証言が報告されているのは事実だ。賢治が見たのも、ひょっとしたら陸生クラムボンだった可能性も捨てきれない。ただ、頭の固い学者連中は、あんたと一緒で認めようとしないんだ。存在さえな」


「目撃証言だけじゃ、ダメですね。もっと詳しく教えてくださいよ。陸生クラムボンは、どのような形体の動物で、どういった地域に生息するのですか?」

「目撃証言のほとんどは、自然の豊かな地域だ。特に綺麗な水辺に多く生息するらしいと考えられている。実は、写真も数多く存在するんだけどな、認めようとしない連中ばかりでな、学術的には架空の生き物として認識されてるんだ。日本語では“妖精”って呼ばれている」


「ほぉ……、そうですかそうですか。馬鹿馬鹿しい。そりゃあ、今頃クラムボンも笑ってるんじゃないですかね」


——えぇ、議論の途中ですが、一旦、CMに入ります。