嫌いなことをすると成長できる

「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。

勿論そのとおりで異論はないのですが、今日は「嫌いなことをすると成長できる」という話をしたいと思います。
そもそも、好きか嫌いかって自分で分かってない事が多いんじゃないかなと思うんです。

判断を早まると理解できなくなる

人は、誰でも他人をすぐに評価したがる傾向にあります。
私もそうです。

私はピアニストですが、人の演奏を聞いていて第1音目から、もしくは弾く前から、
「あ、この人上手い」とか
「表情に乏しい演奏」
とか、決めつけちゃいます。

「判断を早まると理解できなくなる」とは、「7つの習慣」の著者であるスティーブン・R・コヴィー氏の言葉ですが、最近この言葉を読み、はっとしました。

ピアノ演奏に限らず、自分とちょっと合わないものや慣れていない物や考え方を「キライだ」「間違っている」と拒絶反応することで、どれだけ学ぶ機会を失っているかということをこの頃よく考えます。

(私のYouTubeでも「あなたの教え方は間違っているよ」などと言ってくるアンチの人に言いたい!最後まで見て判断して!笑)

慣れたものは好き、慣れてないものはキライ

好きか嫌いかって自分で分かってない事が多い、とオープニングで書きましたが、人は慣れたものは好き、慣れてないものは嫌い。

西洋のクラシック音楽は日本ではやはり異質な物なので、演奏会を行うと必ず「かんたんな曲を弾いてほしい」「有名なわかり易い曲を弾いてほしい」「ショパンのノクターンを弾いてほしい」などと言われます。

聞いたこと事のないもの、慣れ親しんだものじゃないものの魅力をどれだけ人に紹介し、好きになってもらえるかは、演奏家としての課題です。

師匠の言葉

実は、私もロンドンの王立音楽大学でピアノを勉強していたとき、「この曲は好きではない」と先生に言って怒られた事があります。

ベートーヴェンの初期のソナタ作品2の3だったのだけど、私は、もっと有名な「月光」とか「熱情」とか弾きたかったんですよね。

二人の先生に同じ事を言い、その二人の反応を紹介します。

私:「この曲好きじゃないんですけど…」
ひとりの先生は、まばたきもせず、間髪入れずに
「勉強して、好きになるんだよ」

もうひとりの先生は、ベートーヴェンの大家として知られるバーナード・ロバーツ氏でしたが、
「演奏家にとって、本人の好き嫌いは無関係だ。偉大な作曲家の曲を演奏するとき、私達はその曲を経験する。曲を演奏し終えたとき、その経験を経て私達は違う人間となって出てくる」

ガーンと頭を殴られたようなショックを受け、言葉なし。
それからは、この曲好きだとかキライだとか言わずに、まず取り組むようになりました。

嫌いな事から多くを学べる

また、別の機会には留学してまだ間もないとき、メニューイン音楽学校冬季・コースに参加したことがあります。
そのときに私のピアノ講師として当たった先生がロシア人のちょっと怖いオルガ・シトコヴェツキー先生。私は彼女のレッスンが嫌で、無断欠席をしました。

私:「オルガのテクニックは、私がそれまでに習ったやり方とは全然違い、私の尊敬する先生が言っていたことと全然違う…私のテクニックを酷評してひどい…彼女の練習のし方は乱暴な音で、きれいじゃない…好きじゃない!」

そのとき、私の訴えを聞いてくれたもうひとりの先生、故・ピーター・ノリス氏のことばを今でも忘れません。
「You learn so much from doing things you don’t like」
「キライなことをしてみることで、多くを学べるよ」

結局は私は、オルガ先生のもとに戻り、無断欠席したことを誤り、指導を受けました。

彼女から学んだテクニックは、今日の私のテクニックの最も大切な基礎となっています。美しい音を出すには、醜い練習が必要であることを、彼女から学びました。
(そして、彼女の演奏は素晴らしい。息子さんのヴァイオリニストも素晴らしすぎる!)

まとめ

やってみないと本当に好きか分からない。

自分が嫌いな事をキライと決めつけてしまわず、まずトライしてみることで多くの学びを得られるという話をしました。私にとっては、嫌いだと思っていた事のほうが成長するチャンスでした。

目新しい考え方を間違っていると決めつけず、まず聞いてみる、試してみることで新しい発見や理解につながと思います。
そしたら、国際紛争などなくなるのではないか、などとつらつらと考えています。

#ピアノ #学び #クラシック音楽

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