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面白くないマスタークラスの場合

今日は、マスタークラス見物(?)に
行ってきました。

自分でピアノを弾くわけでない
マスタークラスから最大限に学ぶ方法は
「自分が講師だったらどうコメントするか」
常に考えることです。

今日のクラスも
ただ見に行っただけですが、
とても、わくわくしました。
そして、講師もすばらしかったです。

大学時代

これまでに、沢山の著名なアーティストが
マスタークラスで教えるのを
見たり、参加する機会がありました。

講師の方がすばらしく
感激して、後々まで
私の音楽的成長に大きな影響を
およぼしたクラスもあったし
つまらなくて覚えてないのもあります。

自分が弾くときはともかく、
ただ客席に座っていたときは
最大限に学ぶ機会をのがしていたと
今になって思うのです。

若いときって、傲慢でしょう?
始まって、おもしろそうじゃなかったら
途中で出たりしてました。
マスタークラスは、必修科目でなく
出席も自由だったのです。

「あ〜、あまり学びなさそうだから練習に行こう」
「試験勉強がある」
「ケーキたべたい」など。

今は、退屈することなどありません。


ユージーン・レーナーのことば

信じられない話ですが
アメリカのあるリサーチによると
オーケストラの楽団員は
牢屋の番人よりも職業に対する
満足度が低いそうです。

私の友人も、
オーケストラでチェロを弾いていましたが
「何も理解のない指揮者のもとで演奏するのは苦痛」
とぼやいていました。

*ユージーン・レーナーは
自身が名高い音楽家でありながら
ボストン交響楽団の一員として
ヴィオラを何十年も演奏していました。
自分より若輩の指揮者のもとで演奏することに
ひとときたりとも
不満に思ったことはないそうです。

なぜなら、
「レーナーさんちょっと私がホールの向こうに行って
音を聞くあいだ指揮していてください」
と指揮者から言われるときのために
常に頭の中で準備しているのですって。

「自分だったらどうやって指揮するか」
「どのようにこの曲をつくり上げるか」と。

ちなみに、43年の間
そのような場面は一度もなかったそうですが…

この話を読んだとき
「有能な人は常に能動的にまなんでいる」
と今までの、自分の態度について反省しました。

*ベンジャミン・ザンダーのThe Art of Possibilities より。

チリのことわざ

チリの諺に、
「ギター奏者を批評するのはかんたん。
自分の手の中にギターを持つまでは」
というのがあります。

自分自身が人前で話したり
教えたりしようとすると、
これは、すごく大変です。

自分だったらどのように教えるかと
考えることは、
更に音楽を知りたいと
調べたり、学んだりする
きっかけとなります。

マスタークラスは、YouTubeでもたくさん見れます。
自分だったらどのようなコメントをするか
考えながら見ると
面白さも2倍になります。

最後に、実際に教えてみましょう!
これほどの学びはないです。

#ピアノ #音楽 #クラシック音楽 #学び




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