君を誇りに思う
昨日、古い友人から正月以来の電話がありました。
いつもはゲームや子供について他愛の無い話をするところ、その時彼は少し興奮を抑えるような調子で、激動の4月のことを語りだしました。
なんでも、彼はこの4月から働いている会社の支店長に昇進したと。
それはそれはめでたい話だとプチ上がった矢先、語りは少し深刻な方へ。
まず、前任者から支店長を引き継いだ時点で4、5人の職員が辞めてしまっていて人手が足りない状態だった。
その影響もあって、しばらく自分を含めメンバー一同疲労困ぱいな日々が続き、一部の職員からは不満の声が上がるなど就任早々精神的にもキツい状況が続いたと。
そんな中、追い討ちをかけるように職員の一人が仕事中に倒れてしまった。
脈がない。慌ててAEDを持ち出して対応すると何とか反応を取り戻し、駆けつけた救急隊と共に病院に付き添って、後から来た家族に事情を話した。
その家族は、こんな事態になってもその場の責任者であった彼を責めず、まだこれからどうなるかは予断を許さない状況だが、回復させてくれてありがとうと感謝をしてくれたと。
倒れた職員はここ2、3日がヤマ場だと医者から告げられたが、幸い翌々日には意識も回復し、何日かのリハビリを経て昨日、本人から電話があり、後遺症のようなものもなくしっかりとした声でこれまた感謝されたと。
その後は支店でも何人かの採用も決まって仕事が順調に回り出した。
とのことでした。
この話を聞いて私は彼へ労いの言葉と共に君を誇りに思うと伝えました。
人の命を救うことなんて滅多にない。
それに、今回はたまたま結果は良かったが、本来、人の命がどうなるかなんてことは宇宙レベルの出来事で人間にはどうしようもないこと。
それよりも、君が命を前に行動した事、それこそは、誰のおかげでもなく君自身の意志と選択であり、そこには普段は見えない心と体の(=その技能がなければできないこともある)有り様が塊になって表に出てきたわけだ。
それを勇気と呼ぶ。
なかなか出来る事じゃないよ。
そんなふうに。
これで昔やった万引きとかはチャラかなと彼は照れ臭そうに言ったけど、それはチャラにはなりません。話が別です。
でもそれとこれとは別の話が出来るのが良い社会ですよね。
とにかく良かった。
「君を誇りに思う」でカエル君のお手紙の話を思い出しました。
令和3年5月5日 もう友達になって三十数年たつのだなあ
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